読書メモ 月神降臨 第2部 第5章 今日のクラフト

やっと第5章を読み終えたのでまとめ。
最近平日は仕事が忙しくて読書の時間をあまり取れてない。
今週末はまとまった読書時間を確保するぞ!


第2部 魔女

第5章 今日のクラフト

正統性

サンダース夫妻
アレクサンドリア派を作った人たち

とある参入儀式での出来事
 当日女司祭がドタキャンするトラブル発生
 筆者とカヴンの人が若干揉める
 新米司祭の詠唱がイマイチ
 事前にそんなトラブルがあったため儀式自体は若干テンション低め
 けれどその日参入儀式をした女性にとっては真の再生を経験したであろう

クラフト関係者多数が秘儀参入を内的プロセスとみなすようになっている。

ニューヨークのクラフト司祭マーデンが次のようにしている。
「秘儀参入を果たした魔女による秘儀参入を果たしていない人がいるとする。ただそれだけの理由で、我らの女神はその人から崇拝されることを拒むであろうか。私はそうは思わない。それに参入儀式を司る魔女が本当に参入者なのか、どうか誰にもわからないのだ。
(中略)
秘儀参入は第一義的にクラフト体制の防衛機構である。これによって不誠実な人間あるいは邪悪な人間あるいはクラフトに悪評をもたらしそうな人間が"魔女”を自称することを防ぐのである。しかしこれで実際に魔女自称者を排除できるのであろうか?否・・・・クラフトの秘儀と奥義はクラフトとは無関係に発見できるのだ。われらは唯一の道を所有しているのではない。神々はクラフトとは無関係に発見できる。神々のみが人を魔女にできる。人はそれを確認することしかできない。」

誰がウィッカを定義するのか?

カヴンごとに定義は色々ある
まとめようとしてもなかなかまとまらない
けれど、以下の事はみんなが同意した

何人にも害を及ぼさぬ限り、望むことを成せ
アレイスター・クロウリーの言葉
「汝の意思するところをなせ。それが法のすべてとならん。愛は法なり。意思の下の愛は」

1974年4月にミネアポリスでアメリカ魔女評議会が開催され、原則声明が出された
→採択の後の追加声明で各派の相違が浮上

「われわれは魔女の実体を言葉では定義できない。あまりに差異が大きいからである。われわれにとっての現実は直感的である。同様の崇拝をなし、同様の宗教を信じている人と出会えば、すぐにそれとわかる。それがわれわれの現実であり、この点はなんであれ理解されんことを願う。」

こういう公式声明よりも魔女による個人的な定義の方がおもしろい

ブダペスト
「魔女の人生に対するアプローチは、つまり"邪悪が到来しても、その方向性を変え、自分の役に立つようにせよ”ということ。すなわち、曲げる。すなわち、賢くなること。」

魔女の総数
わかんないしわかりようがない

現代のクラフト伝統
クラフトは本質的に折衷主義ではあるが各流派に関して、ある程度の区分を設ける事は有益であると思われる。

伝統派ウィッカ
アイルランド伝統派
ウェールズ伝統派
スコットランド伝統派
ギリシャ伝統派
などなど
これらの特定の伝統派カヴンに引き寄せられる人間は往々にして、先祖がその民族伝統の出身であったり、自分自身の文化を模索している人間であったりする。

ガードナー派
1964年に、アメリカ国内でバックランド夫妻がガードナー派カヴンを発足させた
ガードナー派の中にもいろいろある
多数のガードナー流儀式は、ファーラー夫妻の「魔女道」で紹介されている

アレクサンドリア派
イギリスのアレックス・サンダースが始めたカヴンが源流となっている
メディアに流布している魔女術儀式の写真の半数にアレックスとマクシーンが写っている
アレックスは1933年に祖母から参入を授かったと主張している
サンダースは、イギリスのジャーナリスト、スチュアート・ファーラーを参入させた

NROOGD
新再編正統黄金の夜明け団

ジョージア派
カリフォルニアのジョージ・パターソンが創立した折衷的復興派伝統
極めて開放的な複合伝統であり、自由と言うものを大いに強調する

ディアナ派
フェミニスト系
ブダペスト
ダイアニック・カヴンステッド

スクール・オブ・ウィッカ
アメリカ最大の魔女術通信教育学校
ペイガンではない
主催者のフロスト夫妻は、魔女術を唯一神教と定義している
たくさんのカヴンを産んできた
多数の論争の種を撒いてきてもいる

新しい流派は日々作られている
今や世界中で

今日の魔女と迫害

信教の自由を保障されているアメリカでも魔女術を正当なる少数派宗教と認める人は少なく、結構迫害されてる。

ペイガニズムとクラフトの世界では、迫害に対する態度が大いに異なっており、大別して二種に分類されるようである。
「自分さえちゃんと振舞い、静かにしていれば迫害されない。派手なトラブルメーカーだけが迫害されているのだ」派
「今こそ立ちあがり、自分の宗教的権利のために戦うべきだ」派

女司祭セオスいわく、体制側の人間は大部分がクラフトなどまったく意識していないという。「わたしはわたしの道を行く。かれらはかれらの道を行けばよい」。
中西部出身のペイガンいわく「これまでの人生でずいぶんと迫害されてきたが、自分は迫害対処に関しては“やりかえせ”派の人間なので、この件についてはあまり話したくない。迫害された人に対する助言としては - 目はよく聞いておき、口は閉じておくこと。
ドアの裏には散弾銃を用意しておき、願わくば使わずに済むよう祈ろう。同類でない隣人には自分がペイガンだと教えるな。職場の仲間にも教えるな。名を多数用いること住所を教えなければ焼き討ちにあうこともない」

筆者がインタビューした大多数の魔女は静かな生活を送っており、嫌がらせを受けても無視している。

本質

魔女術に関する話の大部分は小道具に関してであるために誤解や必要以上の神秘化が生じている

魔女術の内容よりもアサメイや呪文やハーブなどの道具に注目しがち
そういう道具がウィッチクラフトそのものではない

とある女性の書簡(要約)
あらゆる魔女に共通するのは「月的原理」の力を信じる事
月的原理ってなに?
月的原理が必要な2つの理由
1 私たちの文化は月的原理とは全く逆の原理に基づいていて、生命のこちら側を扱う手段をほとんど持っていいない
2 月的原理は非常に曖昧であるがゆえに他の厳密に定義された宗教や哲学よりも宇宙的なものに近いのでさまざまなタイプの人間が参加できる
人生には論理でも合理でも説明できないことが実際にある
儀式を行うということはきっと原理が顕現するための回路なんだと思う
知的に把握したからといって原理に近づく助けにはならない。
合理的精神で顕現を命令しても無駄。
コツとしては蝋燭もお香も絵も何もかも小道具に過ぎないことを忘れないこと。

魔女は変革者 - 曲げる者である

最高レベルのウィッカはあらゆる宗教の中でもっとも柔軟にして適応性に満ちている
ドグマなどいつでも放棄して、この種の体験のみを信頼の源泉とみなせる

この本に紹介された内容がそのまま通用するとは思わないで!
常に変化して変わりゆく姿こそが本来のウィッカの真の美しさだよ

自分の感想

いろんな流派があるんだなーと。
昔のアメリカでも派閥争いが繰り広げられてたんだな。
「あいつらは正当な魔女じゃない」
「本物の魔女とは」
みたいなやつって昔っからあったんだね。それって全然魔女くないね。
けど、流派がいっぱいあること自体はいいよね。自分に合うところを選べるからね。
魔女にとって大事なのはくいっと曲げたりとかどんどん変わりゆくこととか
ひととこに留まらないというか、柔軟に、非合理的に、自分の中の直感を大事にすることなのかな?って思った。

感想書いたり自分の頭の中の気持ちを言語化するのって吐くほど難しい…
けど続ける…

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