隠れ型の自己愛性パーソナリティ障害への取り組み
自己愛性パーソナリティ障害と聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか。
誇大感や万能感をもった顕示欲の強い人を思い浮かべるかもしれません。
日本社会では、そのような人はあまり好かれない空気があるように思います。「能ある鷹は爪を隠す」方が好まれるように思います。
一方で、自分が所属している集団や組織、有名人の知り合いがいるなど、自分そのものではないけれども自分と心的に地続きに思える誰かが、社会から高い評価を受けていると、ただそれだけで自慢になるのが、日本社会です。
これは一体、どういうことなのでしょうか。
自己愛性パーソナリティ障害をめぐっては、アメリカの精神分析とトランスパーソナル心理学が、長年、取り組んできています。
それは、アメリカ社会で自己愛のテーマが人びとの苦悩であったからですが、実は、日本にも自己愛のテーマで苦しんでいる人は非常に多くいます。
ただ、それは、アメリカのように見えやすいかたちではなく、とても見えにくいかたちで潜んでいます。
その理由を説明するには、かなり長い文章が必要になるのでここでは書きませんが、明治期あたりから始まった個人のあり方の変動と社会の変動とが深く関係しています。
日本社会で自己愛のテーマで悩まれる方は、ますます増えています。
「何だか生き辛い」という漠然とした悩みの中に、自己愛のテーマが潜んでいることもままあります。
「パーソナリティ障害」と書くと、「病」とか「悪いもの」のように感じてしまいますが、マクロな観点でみると、個人のあり方と社会のあり方とのミスマッチと捉えることもできるのです。
当相談室では、健全な自己愛の育みを、応援しています。
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