かくも繊細なる色彩--倒産する出版社に就職する方法・第32回

バイクは速度をあげ、明治通りを北上していました。
私はその日、9時前には板橋の印刷所に到着し、印刷機で刷られた本文の色味を確認することになっています。
相変わらずギリギリの綱渡りが続くスケジュールでは、当日(9月5日)が印刷日であり、この日のうちに印刷を終えなければならないのです。


それにしても著者の長澤氏がなんのために東京に向かってきているのか、ここが最大の気がかりではあります。
「Amazon16位」という知らせを受けての昨晩の「東京に行く」宣言だったわけですが、


(1)「(16位と聞いてやっぱり色が気になりだしたので)東京に(見に)行く」
(2)「(16位と聞いて嬉しくなったので編集者をいたわりに)東京に行く」


……どちらなのでしょう?


その答えはもしかするとLINEの中に届いているのかもしれませんが、LINEメッセージを覗けば「既読」というマークがつき、相手方がこちらの動きを察知することくらい、LINE初心者の私だって把握しているのです。
とりあえず今、LINEを開くことは危険すぎます。


予定通り9時前に現地に到着した私は、追尾してきた車がないか、木陰からこちらを注視している人物がいないか、念のため周囲に細心の警戒を払いながら、印刷所へと足を踏み入れました。


印刷立会いの段取りはこうです。
本格的に印刷機を回す前に数十枚だけ印刷して、その色を私が確認します。色がOKなら、そのまま初版分を一気に印刷です。
まだ色が不十分と判断すれば、印刷機で再び色の調整をしたあとで数十枚印刷、さらに確認となります。またまた気に入らなければ再び調整後、印刷、確認……という作業が、私がOKを出すまで繰り返されることになります。
そしてその間、印刷機を担当する職人、工場長、印刷会社の営業担当者たちはみな私の判断を待つのです。


原画どおりに色を出したい著者の思いを背負いながらも、当日中に仕上げるため一刻も早く刷り始めたい印刷所関係者を目前にしている私は、まさに板挟み状態といえます。
挟まれてる板だってただのべニアではありません。プラスチックの中でトップクラスの耐衝撃性を誇るポリカーボネート樹脂です。


著者・長澤氏からの色校への要望は、「若干暗い感じがするので、もっと明るく」というものでした。
たしかに原画と色校を見比べると、「EARTHおじさん」など登場するキャラクターたちが多少暗い感じを受けます。ただあくまで多少です。
「明るく」と言葉で言うのは簡単ですが、青・赤・黄の加減で明るさを調整するわけで、少し間違うと空の青、葉の緑、肌のクリーム等々にも影響を与えかねません。さらには、暗い感じを取り除いていくことで、白っぽく軽薄な印象になる危険性も含みます。色彩の調整とはかくも繊細なものなのです。


轟音とともに巨大な印刷機が回りだし、印刷された本文が吐き出されます。
数枚を手にした職人が、不安げに見守る私のもとに持ってきてくれました。
空気が張り詰めます。
「どうですか?」
印刷機を担当する職人、工場長、印刷会社の営業担当者が私の顔を覗き込みます。彼らにとってもまた不安と緊張が入り混じる瞬間です。




1時間後、大きな音を立てて動き出した印刷機を背に、薄暗い印刷所から外に出た私を、9月だというのに衰えることを知らない太陽が照らしつけます。
回り出した印刷機はもう止まることはありません。


朝イチで確認してから数時間ぶりにLINEを開きます。



『4時にルノアールで』



……。


時間と場所の指定だけです。
用件はありません。
「放課後、体育館裏、来い」みたいなもんです。


ナニ、俺、シメられんの?


(つづく)

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