ジョコビッチ完全復活の朝にーー倒産する出版社に就職する方法・第16回

「はい、もちろん大丈夫です。ぜひお使いください」

私は浮き足立ちました。

担当者の話によると、母国セルビアを代表してリオオリンピックに出場するジョコビッチに取材時間をとることができ、テレビ朝日のオリンピックレポーターとして派遣される松岡修造が直接インタビューすることになった。いろいろな話題をふる中のひとつとして、本人の著作が日本でベストセラーになっていることも質問してみたい、ついては書籍を使わせてくれないか、ということです。

しかもその模様は同局のオリンピック特番として、ゴールデンタイムに放送されるというではありませんか。

異存のあるはずもありません。

それにしても、ゴールデンタイム。なんて甘美な響き。

ここでみなさんに、数年前から患っている私の奇病について告白しなければなりません。

テレビ番組で他社の本が取り上げられているのを目にすると、脈拍があがり、動悸がして、気分が悪くなるのです。それくらいで済めばいいほうで、ゴールデンタイムに著者が登場して本の内容を長々説明などする場合、倦怠感は耐え難いものになります。いったんリビングを出て寝室に引きこもるほどです。

なかでも「世界一受けたい授業」「金スマ」などは発作が起こる可能性が高い危険番組です。偶発的にでも目にしないよう、「パパのお体に障るので」二人の子どもにも観ることを禁じているのです。

発作が起きないよう、細心の注意を払い、かろうじて身を守っている私。

それが、ゴールデンタイムに、松岡修造が、ジョコビッチ本人に、『ジョコビッチの生まれ変わる食事』についての感想をインタビュー……。

……最高ではありませんか。

福永法源からの「最高ですか!?」の問いかけにだって、大声でレスポンスしていたでしょう。

注目度の高いゴールデンタイムのオリンピック特番で、松岡修造とジョコビッチがこの本のことに触れれば、数万部単位での重版につながる可能性があります。

それとともに、私にとってもうひとつ嬉しいことがあります。それはジョコビッチ本人にこの本の存在、評価が伝わるということです。

1年前までなんの競技やっているのかすら覚束なかったにもかかわらず、すでにこの間、ジョコビッチの試合を見まくっていた私は、ジョコビッチの熱心なファンになっていました。

応援している世界的アスリートに、自らが手掛けた本についての評価を訊く、こんな機会はなかなかありません。

ジョコビッチは自著の日本版『ジョコビッチの生まれ変わる食事』についてどう思っているのだろう。これは私も知りたいところです。

しかし、この連載のテーマは「運命はいつだって気まぐれ」です。(そうなの?)

好事魔多し、禍福は糾える縄の如し。

テレビ朝日の担当者から再び電話がかかってきたのは放送直前のことです。

「申しあげにくいのですが……ジョコビッチ選手のインタビューなのですが、テーマを母国セルビアでの苦難の子ども時代に絞ったため、今回は書籍の箇所はカットさせていただきたく……」

「そうですか、またチャンスがあればぜひ……」

落胆を口に出さないくらいには私も世間知を身につけたといえるでしょう。

私の歓喜とも失意とも無関係に、オリンピックもオリンピック特番もやってきます。

放送当日、流れてくるジョコビッチと松岡修造のインタビュー映像をぼんやり眺める私。

コソボ紛争下、母国セルビアでの境遇を語るジョコビッチ。

うなずきながらそれを聞く松岡修造。

インタビューの間中、ずっと松岡修造の膝の上に置かれた一冊の本。

なんの説明も、なんの脈略もないまま、所在なさげにそこにある『ジョコビッチの生まれ変わる食事』。日本中の視聴者の中でたったひとり、ジョコビッチでも松岡修造でもなく、私は一冊の本だけを眺めていた。

今でも信じているのです。

テレビ朝日の倉庫に眠るデジタルデータの中で、ジョコビッチと松岡修造が会話しています。

松岡修造「この本『ジョコビッチの生まれ変わる食事』が日本でもベストセラーになっています」

ジョコビッチ「サンキュー! 僕の考えが多くの日本人に伝わって嬉しいよ」

2016年、悲願とされた全仏オープンを制して以来、ジョコビッチは勢いを失います。敗北がニュースになった絶対王者も同年末には世界ランク1位から陥落、低迷期に入ります。その後、ズルズルと順位を下げ、2017年後半はケガの影響もあり、長期欠場を余儀なくされます。

時おなじくして、『ジョコビッチの生まれ変わる食事』の売れ方にも陰りがみえ、三五館も同書に代わりうるヒット作に恵まれず喘いでいました。

私は、ジョコビッチがいなくなったテニス界に関心を持てず、試合中継を見ることもなくなりました。

2017年10月、三五館倒産。それは『ジョコビッチの生まれ変わる食事』の出版権の消失を意味します。私はテニスについての関心を完全に失ったのです。

2018年1月、三五館シンシャ立ち上げの怱怱の中、ジョコビッチがケガから復帰することを知りました。

2018年7月、ウインブルドン。

世界ランクを17位まで下げて大会に臨んだ元王者の決勝戦を、私はほぼ1年ぶりに観戦しました。いつのまにか、あのときと同じだけの熱量をもって。

日はまた昇った。

次は、俺の番だ。

(連載も、人生も、三五館史も、まだまだつづく

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