【ドラマ】VIVANT最終回のもやもやを言語化する

※下記記事には、VIVANTに対して否定的な意見が含まれます。※

念の為ゴリ押しておきますが、筆者はVIVANTの超ファンです。放送中も毎回リアルタイム視聴してましたし、2期が始まったら絶対見ると思います。
最高にワクワクする日曜日をつくってくれたドラマが大好きですし、とても感謝しています。


Attention

  • VIVANT最終回最高だった!まじ感動した!な人には向いていません。

  • ちょっともやもやしたな。と思った人は共感してもらえるかもしれません。

  • 筆者は4、5話が最高だったと思ってます。この後どう展開していくんだろう!とそれはそれは胸を躍らせ、頭脳をフル回転させ、毎週楽しみにしていました。その上で、最終回までのあれこれについて考えたこと、感じたことを書き連ねていきます。




■前提:公安(警察)と別班 vs テロ組織 の構図

公安(警察)vsテロ組織はこれまでのドラマでもたくさんあり、公安(警察)=善、テロ組織=悪としてわかりやすい構図で描かれてきました。そこに別班を入れて3対立の構図にしたことがこのドラマの新しいところ・面白いところだと思うのですが、この新組織「別班」に対して、どの視点で見たら良いのかが最後までよくわからなかった。
スパイ映画からいいとこ取りしてきたギミックてんこ盛り設定で、別班員たちの能力の優秀さ(チートさ)はこれでもかと伝わってきたが、テロからの脅威に対して影で暗躍していたダークヒーローのかっこよさを描きたかったのだろうか。であれば公安は不要であったはず、むしろ公安と別班のキャラが被り、どちらかに統一したほうがわかりやすかったと思う。
しかしわざわざ公安側の視点を取り入れることで、単純な勧善懲悪(ダークヒーロー別班が、悪のテロ組織テントを成敗)にならず、それぞれに共感できるポイントと欠陥のバランスを保ちながら、多角的な視点で愛国心とかイデオロギーの対立まで踏み込めた可能性はあるんだけどなぁ、と思うわけです。
というのをふまえて、善とも悪ともいえない「別班」の存在を問題提起することが目的であるなら、今あるドラマ設定の中でもう少しうまいこと深掘りできたんじゃないの、というのがこの記事で書いていきたいことです。


■公安の存在感の薄さ

とくにこの公安vs別班の対立構図がいまいち生きてこなかったのが残念。どちらも国を守るため、という大義は一緒だけど、そのアプローチ方法とか基本理念(4話「法に基づいて動くのが警察(公安)、有事の前に動くのが別班」」参照)が異なっていることに起因する対立はもっと丁寧に描いたらよかったと思う。 実際テロの脅威は法治国家という理想(公安)だけじゃ守りきれないよね、というところまで示唆しており、ドラマ内でも令状なしにブルーウォーカーの家宅捜査ができない公安のもどかしい描写などがありました。
とはいえ超法規的な存在である別班は倫理の問題を常に孕んでいると思っていて、別班を善とするか悪とするかの指標としての公安の役割も担っていたと思う。これが乃木と野崎の不安定な信頼関係性にも関係すると思うのですが、結局のところ野崎は乃木の生い立ち解明のための探偵としての役割に終始し、また公安組織としては別班(乃木)の手下かのように都合よく使われていただけの印象になってしまった。
別班の乃木・公安の野崎それぞれの立場での葛藤を描きつつ、ある時は自組織のために利用し合い、ある時は相手を出し抜き、巧妙に駆け引きをしながらも2組織が協力してテロとの脅威に立ち向かっていくところが見たかった。 国家を巻き込んだ壮大なイデオロギーの対立(テロと国防)の話だったはずなのに、物語ラストに向けて極めて個人的な復讐劇にすり替えられてしまったことで、物語がスケールダウンしてしまったなぁと思わずにはいられない。


■乃木の倫理観の欠如

「別班を善とするか悪とするか」問題は上記の通りですが、主人公乃木に対する視点も同様である。
乃木は正義感はあるが、倫理観がないんですよ。別班員として特別な任務についているという大義名分を得て、目的のためなら何の躊躇いもなく人殺しもするわけですからね。能力チートすぎて人間味がないというのもありますが、乃木の信念は「日本を汚すものは悪、悪は抹殺も辞さない」で一貫しており、いまいち罪悪感とか倫理に関する葛藤が見えない。このあたりが愛国心サイコパスとか言われる所以と思うのですが。

「自分には家族がいないから、愛がなんたるかがわからない。愛を知るために、国を家族だと思って愛することにした。」このロジックは衝撃的だった。Fを含めた乃木という支離滅裂なキャラの行動原理が、この説明でようやく腑に落ちた。このトンデモ理屈を成立させる世界観のもと主人公の成長を描こうとしていることはわかった。ただ自分は平気で人殺しをしておいて、普通の家族愛まで手に入れるのはおいちがうだろ、と言う話です。 薫がテント側であり、別班業務として何かしらの打算があるのなら納得できるのですが、薫は最後まで普通の人で、なおかつ、乃木が別班業務のために血で手を汚している事実を知らない。何も知らない薫とジャミーンと、倫理観欠如の愛国心サイコパスが、疑似家族のように仲睦まじく暮らすという絵に描いたような幸せに、虫唾が走るラストでした。 乃木の異常な愛国心をもつにいたる背景説明(家族愛がわからないから国を家族だと思って擬似的な”家族愛=愛国心”としてみた)は話の筋としては理解するが、その行き過ぎた行為に対する制裁・批判的な視点がないからモヤモヤする。

このドラマ、別班の任務として明らかに殺人として始末するところまで描いてるんですよね。こらしめる、とか、やっつける、くらいの描写もできたはずなのに、わざわざヘッドショットで殺したり、橋から突き落としたり、結構意図的に無惨に見せているなと。あの場面を見て「スッキリした」人はいるんだろうか。法治国家に暮らす平和ボケした私の価値観では、はっきり言ってやりすぎだと感じた。暴力描写が絵的にきつい、というよりは「国防のためなら人の命までそんな簡単に、しかも一方的に奪っていいのか」という倫理観の方で引っかかった。超極右思想に対する拒否反応というか。

それに拍車をかけたのは「美しい我が国を汚すものは何人なりとも許さない」というセリフ。あのセリフどこ行っちゃったんですかね。「倍返しだ」みたいなキメ台詞にしたいのかなと思っていたんですが、それにしては今回のは極右がすぎる。相当攻めてきたなと思った。 「倍返し」もパンチのある言葉だと思いますが、やり返し方が一応法律内というか会社追放とかレベルだったので、まぁ現実のサラリーマンには実際のところ難しいでしょうけれども、それなりのカタルシスを感じさせるものであった。
一方「美しい我が国を汚すものは何人なりとも許さない」は、人殺しシーン(しかも結構無惨に殺す)のセリフですからね。それをあえてかっこよく言わせることで、乃木は愛国心激ヤバ主人公ですよ、と視聴者に印象付ける、そいう皮肉たっぷりな台詞だと思ってたんですがね。。
特に決め台詞にしたい感じでもなく、かといって愛国心激ヤバ思想を持つ主人公に対して物語上での制裁や批判的な描き方も特になく、さら〜とながれて行ってしまいました。
それどころか「日本は多様性を重んじる文化であり、考えの違う相手を尊重する美徳がある(意訳)」というベキの締めの言葉に「?????」となった。日本国に不利益をもたらす反乱分子は即抹殺という超排他的思想・極右思想の別班の大活躍をさんざん見せられて、そのオチはなんだ。結局何を描きたかったのかよくわからないという感想に尽きる。


■神の視点になりえなかったジャミーン

「善悪を見抜く力がある」奇跡の子として登場したジャミーン。トラウマ持ちの喋らない少女、という神秘的な巫女のような存在として、物語を俯瞰的かつ中立の立場で見る「神の視点」の役割かと思っていました。このジャミーンがどう評価するかによって乃木(別班)に対する視聴者の視点も方向付けされてくると思うのですが。
そのジャミーンの中では一貫して「乃木=善」なんですよね、、、。お金を寄付してくれ自分を助けてくれたから、大切な薫先生の好きな人だから、たしかにジャミーンにとっては乃木は”善”なんだろうけど、神の視点にはなりえなかったなと。
(蛇足)ジャミーン最後まで喋らなかったですね。ドラムがあんな感じだったので、ジャミーンは超ダンディーな人工音声で「のざきさん、ハリーポッターおおきに。(低音イケボ)」とか言い出したらどうしようかと思っていたんですがね。。


■敵側のイデオロギーが弱い

テントは結局なんのためにテロをやってきたのか、が腑に落ちてない。孤児院を立てて多くの孤児を救ってきた、だから善、のロジックはちょっと無理があると思う。テロによってたくさんの人を殺している事実は変わらないし、そもそもテロ活動を行うから孤児ができてしまうのであって、穿った見方をすれば、孤児院の設立さえ偽善的に見えてしまう。
内紛の火種になりうる資源をコントロールすることで内紛を抑制する、というのは理にかなっているが、その資源をコントロールするためにテロを起こすというのは本末転倒ではないか。最初は村の自衛のための武装だったはずなのに、いつの間にかテロを仕掛ける加害者側になってしまったことへの違和感はなかったのか。むしろ戦争をビジネスとして利用し、利益を出していく方向へチェンジしましたよね?テント側にもやっぱり倫理観が欠落しているように感じる。
さらにラストでは、日本への攻撃自体が思想によるテロではなくて、ベキの一個人としての復讐になってしまったことで、テントのイデオロギーはますます迷走していく。明美の言葉を本気に捉えて、何十年もあっためてきて70~80?のおじいさんが「よし、今こそ復讐の時!」って立ち上がるの青すぎるだろう!!もう少し折り合いをつけるとか、他の方法で訴えるとかなかったのかよ、とつっこみたくなってしまったな。家族を失ったことに対する復讐はわかりやすく同情でき万人ウケする展開ですが、ここまで大舞台を用意して大風呂敷を広げておいたのに、所詮そこに落ちついてしまうのかよ、、という残念な気持ち。


■(蛇足)黒須というキャラ及び乃木との関係性に関する考察

(若干”腐”が匂うかもしれません?)

さんざん書いてきた通り筆者の中では、乃木=「日本第一、日本に不利益をもたらす奴は悪・即・斬」な愛国心サイコパスなわけですが、黒須も大概愛国心強いと思うのです。さすが乃木を先輩と仰ぎ、バディーを組んできた仲だなと。 「愛がわからないモンスター」への純粋な尊敬と愛情、という歪みが大変癖に刺さる。それがあの裏切りへのブチギレと仲直りのハグという、超ぴゅあで真っ直ぐな愛情(師弟愛)として描かれていることへの違和感、歪さがたまらん。
黒須も結構愛国心が強いタイプだと思っていて、7~9話の乃木に対する怒りも愛国心からくるものと思うんですね。 純正100%の愛国心ですみたいな乃木を尊敬していたのであって、それが「パパに会いたかったから」という理由で国を裏切ったことが許せない。要は黒須は、愛国心サイコパスの乃木を愛しており、その自分の理想とする乃木が打ち砕かれたことに対する怒りなんですよね。。

"ふざけんな、やられてたまるかよ。国のためならいつ命を落としたってかまわない。でもお前にやられるのだけは御免だ!"
→国のためならいつ命を落としたってかまわない、 そうなんだ。。黒須くん日本のために死ねるのね。 軍隊的思想ですよね、、一昔前の戦時中ならまだしも、今この現代に生きる若者で、ここまで思える人ってどのくらいいるんだろう。。

"俺だけ殺すのか?息子だから許されるのか?放せ!あいつを殺すまでは死ねない!"
→あいつ(=乃木)を殺すまでは死ねない、って山本を殺した時と同じ理屈なんですよね。どんなに尊敬していた先輩でも、日本国にとっての裏切り者は何としても抹殺せねばならぬ、という思想です。 愛国心サイコパスとしての乃木jrなんだな、と思いますね。
ただこの黒須くんの超極右愛国心も、乃木に育てられ、長い間一緒にいたが故にできあがってしまった産物なんだろうなと思うと業が深い。

>>【黒須の愛国心】わたしが育てました(^^)(by乃木)<<



総括すると、このもやもやの正体は、大義のための死をどこまで許容するか、の問題なんですよね。
その倫理的なレベル感は視聴者一人一人によっても違い、色々と複雑になって結局答えが出ないので、そこまでの心理描写までは意図的に描かなかったのかな、とも思います。あくまで「誰が味方か、誰が敵か」という謎解きパズルをメインにエンターテイメントに振り切った作品だと理解していますが、これだけのプロットと盛り盛りの舞台設定を作ったのだから、深掘る箇所はいっぱいありますよね〜という話でした。創作や考察が捗りますね。


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