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暗闇のなかの希望

私たちの多くは、自分たちが生きている社会について尋ねられたら、それは資本主義の社会だと答えるだろう。しかし私たちが日常生活の大きな部分を生きているやり方は本質的に非資本主義的であり、反資本主義とさえいえる。(略)金銭を介することなく愛や信条から行動することがいくらでもある。

24頁

アクティヴィストのよって立つ姿勢には、このような立場からである必要がある、といえるでしょう。それは今おかれている現状への「反動」となって現れてくるものでなくてはなりません。

アクティヴィズムの中には成果を得ることよりアイデンティティの強化が主眼となっていて、左翼こそがピューリタンの真の末裔だと思わせるものがある。何がピューリタン的かといえば、結果の実現より自らの有徳さの自らの有徳さの誇示が主眼になっているところだ。(略)高みに立つ彼らにコントラストをつけるための背景として、荒れ果てた世界が必要になるわけだ。

78頁

よくありがちな左翼の弊害について述べられています。具体性の伴わない理想論をふりまく、というものです。〈天国を、地上で進路を見定める一つの考え方ではなく到着しなければならない目的地であると誤解〉(176頁)しているのです。

右・左という標識がなければどんな提携や連帯が生まれるだろうかと、私はしばしば思いめぐらしてきた。(略)銃を使って訓練する男たちは、私たちの動詞とみなすには、あまりにも不気味だが、彼らも、生計と地域社会とが押し流されているのを見つめている人びとの疎外や疑念、恐怖といった心情の大波に浮かぶ儚《はかな》い泡だったと考えられる。

186頁

右の側だって(反動としての)アクティヴィズムだともいえるでしょう。右も左も疎外や疑念、恐怖を現状に感じるところまでは同じなのですが、その反動のあり方が異なるだけです。天国をノスタルジアの、ユートピアの対象にしているかの違いでしかない、のでしょう。

だから、右とか左の標識を取り去らなければアクティヴィストになることはできないのです。

レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望』ちくま文庫 2023



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