労働組合とは何か その2
前回は、イギリスのケースに従って、労働組合に至る前史について触れられている部分を要約しました。そしてそれは、〈ワーキングプアが膨れ上がり、貧困が個人の責任ではなく、社会の問題であるとの「貧困観の旋回」がなされた。ニュー・ユニオニズムの活動家は貧困問題を労働運動が解決すべき課題としてとらえ、働く貧困層を、ストライキをつうじて労働組合に組織化した。(……)労働組合の機能の面では自助の運動から社会改良の運動へと発展させた。この政策制度の闘いの延長線上に福祉国家は姿を現す〉(103-104頁)、ということへとつながります。
しかしこれは、第二次世界大戦後「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる福祉国家政策がとられ、社会保障の充実に力を入れらるようになるのですが、やがて「英国病」として取りざたされる「社会の停滞」状況を生みだしました。そのために、一九七九年のサッチャー政権の成立にともない、実施された「新自由主義(市場原理主義)的」な社会改造をすすめました。そして、現在再び、私たちに「ワーキングプア」や「格差」が大きな問題として、突きつけられています。
さて、それでは、要約を続けたいと思います。イギリスのケースを踏まえて、それのアメリカでの展開、へと引き継がれてゆく経緯をたどっています。ご存知のように、アメリカには中世がありませんので、熟練の職人は少なく、親方・ギルドというものは存在しませんでした。しかしそれが、〈工業化と技術革新は新たな産業の発展をもたら〉(134頁)すこととなります。
フレデリック・テイラー(一八五六~一九一五年)は、熟練工が仕事の一切(デザインから納期まで)への権限をもっており、経営側であるテイラーの言うことをきかない、という現状に不満を持ち、その解消のために労働を「作業」として管理下におこうとしたのです。
このテイラー主義の実践として有名なのが、〈一九〇八年にフォード社が大量生産によって「T型フォード〉〉(134頁)で、ベルトコンベアによる流れ作業の導入により大量生産が可能になりました(これを風刺したのがチャールズ・チャップリンによる『モダン・タイムス』(一九三六)、ルネ・クレール『自由を我らに』(一九三一)のシーンです)。そして、人為確保のため及び、大量生産によるコストの削減の成果として、フォード社は賃金などの労働条件の改善を提示しました。それにより、労働者は、今までにない豊かさを手に入れ、消費者としての側面が生みだされました
職種とは一貫して作業の責を負う熟練工のものであり、職務とは細分化された作業を行う半熟練工のもので、〈職種の範囲で、やさしい職務から難しい職務へと、熟練度に応じて職務が並べられ〉(143頁)ていると言います。ではなぜ、職務を担う半熟練工には「産業別労働組合」が必要になったのでしょうか。
「共通規則」があることで、企業を問わず「同一労働同一賃金」などの最低限の労働条件が企業に課せられ、それが義務となり、守らなければ「産業別組合」から排除されてしまう怖れがある、ということになるのでしょう。なぜ、「共通規則」が重視される社会であり続けられるのでしょうか。
「共同性=集団」とは、実体として存在するものではないけれども、それを分割してゆくと「個」が立ち現れてくるところのものである、ということですね。「共同性」がなければ、「個」は「個」として認められることができないのであり、そして、「個」の集合体としての「集団」が成り立っている、というのが「個と集団が結びついている」の意味するところでしょう。
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