快感回路

非合法な悪習であれ、エクソサイズ、瞑想的な祈り、事前的な寄付行為といった社会的に認められた習慣であれ、私たちが生活の中で「日常から外れた」と感じる経験のほとんどの場合、脳の中の、解剖学的にも生化学的にも明確に定義される「快感回路」(報酬系)を興奮させるものである。

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「日常生活から外れた」とは、「ハレ」の一種だといってもよいのかもしれません。日常=ケにケガレがたまって不快におちいり、悪習も含めた非日常的な行為をとることで、不快から逃れる、まるで「死の欲動」ですね。高まった欲望(不快)を性行為によって処理し、オーガズム=死という快の状態に至ろうとする、という点においてですが。

快感回路が刺激を受けるとドーパミンが放出され、快感がえられますが、しかし、それだけでは「快」の状態にはならない、といいます。

快感が私たちにとってこれほどの力を持つのは、快感回路と脳の他の部分との相互連絡によって、記憶や連想や感情や社会的意味や光景や音や匂いで飾り立てているからだ。

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たしかに同じ行為をとっても、ある人は「快状態」に導かれるが、そうではない多くの人たちがいることは承知のとおりです。そして、より強い快を求めることで、依存症に陥り、強迫的にそれを求めてしまう、というリスクもあります。

そして、人間には特殊な「快」があるといいます。

この点についてさらに言うなら、人間の観念は、快を求めるもっとも基本的な欲求と直接ぶつかり合うことさえある。実際、宗教的な原理に基づいて行動している人は、性的な活動を、より重要だと自分が考えるもののために慎むということがある。同様に、政治的、あるいはスピリチュアルな理由でハンガーストライキをする人は、動物として最も古く最も基本的な欲求に反してまで、己の観念を押し進めて観念を押し進めて快感/報酬回路を活性化させている。

192・193頁

デイヴィッド・J・リンデン「快感回路」河出書房新社 2012


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