労働組合とは何か その1

アメリカでは、今年に入ってからでも、ハリウッドの映画関連、全米自動車労働組合をはじめとした様々なストライキが成果を上げています。対して日本では、そごう・西武百貨店が一企業単独で一日限りのストライキを行い、その結果も何だか「ただ主張しただけ」という印象しか残せませんでした。といいますか、ほとんど「ストライキ」って死語に等しい扱いしか受けておらず、別世界の出来事、としてしか認識されていないのではないでしょうか。彼我の違いはどこにあるのでしょうか。それは労働組合の質の差異に求められ、それは企業別・産業別で分かれている、と言います。

木下は、産業別労働組合の遠い祖先は「中世ヨーロッパのギルド」であるとしています。〈ギルドは商人と手工業者に分かれ、手工業者のギルドはクラフト・ギルド〉(3頁)と呼ばれていて、それが労働組合の遠祖にあたり、そこでは〈職業技能の養成のあり方はギルド組織が決めていた。技能を教え込むのは個々の親方だが、師弟を受け入れるかどうかの決定権は個々の親方にはなく、ギルド組織にあった。新しい師弟は、ギルドの集まりの場でおごそかに親方へと引き渡された〉(4頁)というところに、その起源をみています。

そして、師弟期間を終えて職人となり、遍歴の旅に出ます。師弟は、一度ギルドに託されるわけですから、息子が自分のもとに留まることは保障されなかったでしょうし、職人となり遍歴の旅に出ると、父の手から離れる、ということになります。父―息子の相続は不可能になる、といえるでしょう。ただ娘がいた場合、遍歴の職人が娘に婿入り、というケースは大いにあった、かもしれません。日本の商家でも、子飼いの番頭が主人に認められて娘に婿入りし、店を継ぐという場合が多かったそうですが、その店の以外は、経験していない、という違いがあります。

ギルドの特徴として、対内的平等(生産手段・労働条件)と対外的独占(ギルド日加入者の排除)があげられており、諸ギルトの力の結集により、封建領主からの自立した自由都市が生まれまた、としています。

ギルド=「諸社会」の集合体が中世の市民社会であり、それは国家とも分離されていたという意味だ。分離されていたからこそ。「諸社会」のことは自ら決定することができたことになる。 

13頁

まさに、〈「平等」は「独占」がなければ崩壊する〉(8頁)ということですね。しかしやがて、「絶対王政」体制になると、中央集権的になり、〈ギルドや都市、村落の地域共同体などの中間団体が、かつてもっていた権限を、今度は国王が認可する「特権」として、各団体に付与〉(18頁)されるものとなりました。ということは、「独占」が危機にさらされ、統治されるものになった、ということです。

親方層のところでは上層が「商人親方」に転化し、またギルド外部の商人も親方化し、ともに「問屋商人」の階層をつくった。一方、雇職人のところでは上昇するものがあらわれた。階層としてはのし上がった者は「小親方」であり、自分の仕事場と生産手段をもち、職人や師弟もかかえるようになった。(……)
 この問屋商人と小親方が結合して新しい生産組織がつくられた。それが、ギルドが再編成されてできた問屋制ギルド=「カムパニー」である。 

19頁

しかし、初期資本主義が発展してくると、小親方の中には〈(問屋)商人に依存せず、対等な立場に立つだけの蓄積ができた。原材料を自分で調達し、労働者を集め、大きな仕事場を持つだけに力を手に入れた。小親方から分化して生まれたこのような産業資本家的な親方〉(20頁)つまり「大親方」がうまれた、と言います。彼らは〈規制を撤廃し、自由な営業を求めた。一方、小親方は労働時間や価格の設定、品質の確保などギルド規制によって自分たちの営業条件や労働条件を維持しようとした〉(21頁)のでした。

大親方が資本の蓄積を進めるにつれて、これまでの独立自営の小親方はその下層が大親方である産業資本家のもとに従属させられようとした。(……)
 この危機にあった小親方は新しい結社をつくろうとした。この一七世紀の小親方こそが、「近代の労働組合の直接の先行者」であり、ギルドと労働組合との「両者をつなぐ最初の輪」なのである。 

21・22頁

しかし、それは維持されませんでしたが、「友愛協会(フレンドリー・ソサエティ)として新たに組織されることになります。それは〈労働者が賃金の一部をだしあって基金を創〉り、〈労働者同士の助け合いで不安をすこしでも少なくしようとした〉ものでありました。また〈仕事や生活で不安をかかえていると、賃金が安くても働こうとするものが出てくる。競争が生まれる〉から〈だから基金からの費用で生活をいくらか安定させようとした〉というもので、〈友愛教会は一七九三年の友愛協会法で保護される合法的な組織だった〉(35・36頁)と言い、それが労働組合の基盤となりました。

一八世紀末に産業革命起こると、熟練労働者の地位が没落し、それへの不満からの暴動、そして抑圧、またそれへの反動が繰り返されました。

 労働者が「共通の経験」をかさね、「利害の同一性」を感じ、それを表明する。この過程で労働者の階級意識が生まれ、階級形成もなされる。「経験を同じくする」その時期が、イギリスでは一七九〇年から一八三〇年までのあいだだったとする。(……)
 このようにみてくると、労働者の階級形成と労働組合とは切り離せない関係にあることがわかる。 

51・52頁

その後イギリスでは、一八七三年から九六年まで「大不況期」が起こりました。この時期は〈機械制大工場の出現によって工場労働者が生まれ〉、それが不況により貧困層の出現が社会問題となりました。

貧困の根底には、職に就けるかどうかわからない失業問題があった。そこから失業問題は個人が怠けているのではなく、経済社会がもたらす結果であり、社会的な問題ではないのかとの認識が国民レベルで広がった。個人の怠惰に記する自己責任は姿を消した。

81頁

社会の認識を変えてしまうくらいに深刻なスラム街の出現、であったのでしょう。これにより貧困と失業を課題として挙げる「新労働組合運動」(ニュー・ユニオニズム)が誕生します。


『労働組合とは何か』木下武男 岩波新書 2021

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