パチンコ台とテレビの社会学
パチンコ台の題材が、一つも興味があるものがない。
エヴァもガンダムも北斗の拳も上の世代のものだし、他のアニメも見たことがないものばかりで、全く演出のアニメーションを見てみたいと思わない。
もしも、
パチンコMr.FULLSWING、パチンコ世紀末リーダー伝たけし、パチンコ金色のガッシュ、パチンコうえきの法則、パチンコPASSPO☆などがあれば間違いなく僕は興味を持って打ちに行くのである。
だがそんなことは関係なく、入り口はどうであれパチンコの本質の面白さ(ギャンブル的な面白さ)にたどり着きパチンコに行く、僕と同じものを見てきた同世代の仲間たちでもパチンコにハマる人は多い。
ハマる理由はアニメやテーマではなく、パチンコ自体の面白さがあるからである。
よって、テーマは入り口にはなり得るが、結果的に本質の面白さがあれば継続するし、本質の面白さがなければ継続しないのである。
YouTubeしか見ない人たちからすると、テレビもそうなっているのではないかと考える。
僕のように何かきっかけがあればパチンコに行く可能性があるのと同じように、何かきっかけがあればテレビを見ると思うし、そのきっかけによって見てくれればテレビが面白いことをやっている(と思う)。
なので、見てくれた時に次も見てもらえるようなものを作っていればいいという話をパチンコから学ぶのである。
かといって入口を広げるために、テーマをみんなが興味があるものにするべきかというと、そういう訳ではないようである。
それだけを目的にすれば、「パチンコ犬」とか「パチンコ猫」とかが乱立しているはずで、ある程度本質の面白さに支障がないようなクオリティのものを作っているはず。
なので入口を寄せすぎて本質を見失うのではなく、来た客をまた来させるという点に今後はテレビも努めるべきだということをパチンコから学ぶのである。
パチンコに行くきっかけは友達に誘われてとか、好きなタレントがやってるからとか、生活の中での店側には関係ない外部因子によるものも多く、直接アプローチできないところも多い。
来た客にまた来させるためにテレビの本質の面白さ、「見た人の感情を動かす」という脳汁が出る番組作りを大事にしていかなければならないのである。
パチンコはやりたい人だけやればいいし、パチンコの魅力は変わらないし、日々進化してるし、それをちゃんと続けていれば、そしてそのお客さんを裏切らないように玉をある程度出し続けていれば、テレビもそれでいいのではないかと考えている。
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