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3次元を超えて生きる

どうも、ひねくれ者だと自覚しているさんがつです。

スピ界で言う風の時代でしょうか。昨年から自分軸と言う言葉を見聞きします。

だけどこれは、本当に自分軸なのかな?と少し懐疑的に思う事があったので、ヌーソロジー的な解釈を探してみました。

恐らく、スピ系で言う自分軸は、1つ目の思形空間優位から、感性空間優位に戻す事だと思われます。

私が朝、X(Twitter)でカラーカードを使って気分を尋ねている方法だと良いな。

自分としてはそう言う意図でやってるんですが…。まぁこれはこれで、間違っていても良いでしょう。

そして二つ目の「元止揚を覚醒」…これが、実はすごく重要なんじゃ無いかな?と。

と言うのも、自分の奥行やら、外面の方向、持続空間が少し見えてきたら、その奥の奥と言うか、底の底に膨大な何かが幾重にも重なっている…そんな恐ろしい感覚が出てきました。

自分の持続は自分の軸だったはずだけど、もしかしてこの持続は私だけのモノでは無いかも知れない…この場合は畏怖に近い感覚ですかね。

例えば、実際に目にしていない何か…教科書やニュースなどで知った情報ですら、自分の記憶にしまい込みますよね。

そして、実際にそれを目の当たりにしたり、経験した時に、そのしまい込んでいた記憶を持続にしまい込むと言いますか。

実はその時に、誰かの持続(教科書やニュースの内容)にアクセスをしていて、自分の持続と重ねている…と言うより、持続はもっと全体的なもので、自分はその一端なのでは?と思う方が自然な感じがしませんか?

この感覚を現実に例えると、私は「棚田」の話が適切なように思いました。

と言うのは、自然の風景に美しさを感じない人はいないけど、その自然に溶け込むように造られている棚田はもっと美しい…とか、何とか…そんな話を遥か昔に聞いた記憶があるからです。

それで、サムネイルの画像がその棚田の風景ですが、これを見てどう感じられましたか?

例えば、田や畑を作るなら、平坦な場所の作る方が収穫の効率が良いし、そこに作ろう!とは誰もがそう思うのではないでしょうか。

だけど山間部に住む人は、その平地が無い。
だったら土地を切り開いて、田を作って収穫しよう。

恐らく、このような事から棚田が作られたと思います。

だから棚田の風景の背後には、名前も知らない誰かの苦労や努力、歴史が重なって、こうして今の時代に残されていると考えて良いはずです。

もちろん、人間が作った様々な建築物、商品、インフラ…全てがそうなのですが、人が生きていく根幹の「食べる」に特化した棚田の美しさは、執念と言うか、渇望のような深さがあって、私は格別なものを感じました。

このような私が棚田を見た時の感動の底には、名も無い人達の持続にアクセスしている…と考えるのは、不自然な事でしょうか?

だから目の前にあるすべてのモノの成り立ちに奇跡を感じ、自分だけでは無しえない目の前の美しさに感激し、そこで自分がどうしたいのか?を考える事が3次元人間の見出す行先に通じるのでは?なんて思います。

誰かから言われた事やされた事、社会の決まりや規則をどう思うかも重要ですが、それよりも自分の目の前に凄い奇跡がありますよね?

あなたがそれに気が付いたら、今のあなたはどうしますか?

そんな問いかけが、目の前の小さな、見えない一粒の持続にあるような気がしています。

そんな小さな点の中に入ったら、どんな世界が待っているんでしょうね。

多分ここに入る事が、3次元を超えた生き方を見出すヒントになるような気がしています。



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