見出し画像

「みちのり」を通した自分との出会い  (その2)

2023年度 山岳新校みちのりプログラム 参加者コラム
:30代、女性、東京在住

参加の目的とは別だが、愛の多様性を知れたことも言及しておきたい。五條市を基盤とした様々な事業を始め、夫婦で協力しながらも自分の仕事を大切にする参加者、夫婦でみちのりの主催者等々、どれをとっても沢山の愛に溢れていた。その事業が発展していたり、各人が自分の道に突き進んでいるのは、やはり支援者やパートナーからの愛と実践者に揺るぎない愛があるからなのだなと認識した。

話や様子を見ていて、その人たちが育んできた愛が体現されていたし、それが自然で美しくずっと続いてほしいと思えた。

そのような愛に触れたことで、自分の愛の捉え方についても考えた。私は人に強い関心があるため人に限定して述べるが、愛とは、多様性の受容だと考えている。どんな人でも凸凹があり、そのアンバランスさが人間らしく、人を唯一無二と感じさせる部分である。その部分を、つまりその人のありのままを、そのまま感じ取ること。これが自分の思う愛だ。今は自分と家族に愛の練習中で、愛の循環をもたらしたいとも思っている。

上記の私の所感は、まとまりがなくどれも取るに足らないことかもしれない。プログラムは本当に充実していたし、普段議論する機会が少ない中、他者の問題意識に触れたり、自分のそれを深めるのにとても有意義な時間だった。もっとそれらの内容について書ければ良かったと思う。けれども、参加したことで生じた所感は、私の歪んだ様々な思い込みを引っぺがしてくれ、今までよりずっと生きやすくさせてくれた。

この経験が出来たことで、自分に生まれてきて良かったとすら思った。それはその時感じたことは自分が欲しかったもので、それを自分で自分に与えてあげることが出来た(自己充足)からだ。

誰かに必要とされなくとも、私が私を必要としていており、それだけで自分の存在意義としては十分だと思った。そこから、自分の人生のテーマとして、“自分を生ききること”が浮かんできた。それは多分一生諦めきれないと確信している。

少々話が壮大すぎたかもしれないが、次の行先を見つけることで一時の安心を得るよりも、予想もしないギフトをもらった。以上のように認知に変容が起きたお陰か、副産物として次の行先(転職先)も見つかった。

撤退学の理念からはほど遠いけれども、今のレールからひとまず撤退出来た。

様々な思いを抱えた参加者と少し先を行くゲストが交差するみちのり。ワークショップが終わっても、こうしてまたみちのりのことを思い出すと「また五條市に行きたい。参加したい。」と参加した時の感覚を一瞬で取り戻せる。

今後も自分のみちのりの開拓、また参加者同士で活動報告し合える日が楽しみでならない。 
(完)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?