講談の出典研究は可能か、という話。

講談を習うなかで、その文言・詞章の出所が気になることがあります。

たとえば、弁慶と牛若の出会いを描いた有名な「五条の橋」。私がいただいた台本では、全編美文調で、明らかに、何かしらの古典作品に依っているだろうと思わせられる文章です。(ちなみに、国会図書館デジタルで調べた範囲ですが、大正十二年の『歴史趣味の講談』(文芸社)に所収されている柴田馨口演の「牛若丸」の文言とほぼ同じでした。)

中でも、弁慶と牛若との橋上での戦いを描いた修羅場の詞章が独特なので、その出典が知りたくてちまちま調べていました。

以下、雑調べ雑考察ですが、よろしければお付き合いください。

対象とするのは、こんな文章です。

「前に現れ後ろに隠れ、千変万化陽炎稲妻水の月、形は見えても手にも止まらず」

「弁慶、薙刀をうち振りうち振り、こぐ手薙ぐ手突く手払い手十文字、飛龍逆龍逆門流水波まくら、飛鳥の散乱、虎乱入。陰に閉じ陽に開き開けば突き入る千変万化…」

ひとまず、「飛鳥の散乱虎乱入」「陽炎稲妻水の月」に注目し、出典を探してみることにしました。

最初はとりあえず『義経記』を見てみましたが、同種の場面はあるものの(出会いは五条の橋ではなく五条天神)、文言は全然違います。

「飛鳥の散乱虎乱入」は、剣法を表す表現のひとつのようです。太刀の斬り込み方を、動物の動作に準えて表現するものです。ただ、「飛鳥の翔り」「飛鳥のごとく」はあっても、「飛鳥の散乱」は見つかりません。

「陽炎稲妻水の月」は、見えても触れられないことの喩えとして使われる表現です。日国では謡曲の「熊坂」の用例が、古いものとして挙げられています。盗人の熊坂長範が、義経に手向かって翻弄される場面です。

「追つかけ追つ詰め取らんとすれども、かげろふ稲妻水の月かや、姿は見れども手に取られず」

(新編全集『謡曲集』「熊坂」)

そしてその少し前には、長範に対峙する義経の様子が、

「獅子奮迅、虎乱入、飛鳥の翔りの手を砕き…」

(同上)

とあります。「陽炎稲妻水の月」と「虎乱入」「飛鳥」が同時に出てくる点で、講談の文言とかなりの近さを見出だすことができます。

この「熊坂」の詞章は、後に様々な作品に採り入れられているようです。特に、義経の登場する浄瑠璃では、義経の軽やかな戦いの様子を表現する定型句のようになっています。

近松門左衛門の作品『源氏烏帽子折』には、次のように出てきます。

牛若丸、「ものものし葉武者一人も余さじ」と、獅子奮迅虎乱入、飛鳥の翔りの手をくだき、隠れ現れ陽炎稲妻水の月、手にもたまらず防がるゝ。

(「源氏烏帽子折」『近松浄瑠璃集上』(有朋堂文庫、1930年)

また、同じ近松の『最明寺殿百人上臈』(いわゆる「鉢木」に下敷きにした物語です)には、義経の生まれ変わりとされる天女丸の様子が、次のように描かれます。

太刀風騒ぐ虎の巻、獅子奮迅虎乱入、前を払へば後ろにあり、地をなぐればかすみに入り、陽炎稲妻水の月、さながら飛鳥のごとくなり

(「最明寺殿百人上臈」『近松浄瑠璃集上』(有朋堂文庫、1930年)

なお、同じ浄瑠璃ならばもしやと、「五条橋」の場面が入っている『鬼一法眼三略巻』を確認しましたが、「水の月かや」が重なるのみで、他は異なる文言ばかりでした。

少なくとも、近松作品の文章が、謡曲「熊坂」の詞章を下敷きにしていることは間違いないようです。「飛鳥の~」「虎乱入」「陽炎稲妻水の月」という表現は、謡曲「熊坂」にルーツを持つとみてよいのでしょう。

問題は、では講談の文章は、
①謡曲の詞章を参照しているのか
②浄瑠璃の詞章を参照しているのか
③何も参照せずよくある決まり文句を使っただけなのか
という点です。③の可能性が高いと考えるのが穏当かもしれませんが、上記の文言は、他作品にたくさん出てくるわけでもなく、どうも汎用性の高いものではなさそうなのですよね。また、「義経の戦う様子を表す」という限定性もあります。ここから先を埋める材料がどれほど見つかるか分かりませんし、にわかに答えを出せる問題ではありませんが、なかなか興味深いです。

このように、にわか調べでも、なかなか面白いことが見えてきました。講談の台本が作られる際、どこに取材し何の詞章を典拠としているのか、調べるのが楽しそうです。

意外なことですが、講談の詞章の出典研究というのは、これまであまり為されていないようです。語り物の性質ゆえ、演者・時代による変化が著しいからだろうと思いますが、それでも、本として受け継がれてきたものであれば、その詞章のルーツを探ることは、決して無意味ではないと思われます。

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