見出し画像

3分講談「守山宿の仇討ち」①

★謡曲『望月』の翻案・リメイク作品です。

時は、室町のころ。ところは、近江国・守山でございます。
ここ守山には、京の都と東の国とを結ぶ木曽街道が通っておりまして、江戸時代にはこれがいわゆる中山道となるわけですが、それ以前から、宿場町として大変に賑わっておりました。

この守山宿に、「甲屋」という一軒の旅籠がございます。宿の主人は友三と申しまして、四十手前。無口ながら柔らかな物腰で、客あしらいも上手く、仲間内での評判も上々でございました。

あるうららかな、春の日の昼下がり。街道沿いには山桜が咲き誇り、西の方には朧に見ゆる琵琶の湖水。花見見物を兼ねて往来する人々も多く、宿場町はいつも以上の賑わいを見せておりました。そんな中、甲屋の店先に立ちましたのが、一組の親子連れでございます。母親は、年の頃なら三十路すぎ、みすぼらしい壺装束に破れた市女笠を被っておりますが、どことなく気品のある佇まい。子どもは九つ・十といったところでしょうか、色の白い男の子でございます。

「お頼み申します、お頼み申します」
「はい、ようお越し。お泊まりでございますか、さあどうぞお入りくださいませ」

足を洗い、旅装束を解いだ母親の面を、友三が見てはっと顔色を変えた。

「…あ、あなたは、お方様ではござりませぬか」

実はこの旅籠の主人・友三は、元は信濃国の武士・安田庄司友治に仕えた家臣で、小沢刑部友房と申しました。今を遡ること五年。友房―友三の主君は、荘園の領地争いが元で、望月秋長という武士に殺害され、妻と五歳になる一子・花若丸は、敵に追われて流浪の身となりました。家臣一同も散り散りとなり、友三も、旅籠の主に身をやつしながら、主君の仇を討つ日を虎視眈々と狙っておりました。

「それではお前は、小沢の刑部か」
「奥方様、若君さま、お懐かしゅうございます、よくぞご無事で」

これはきっと亡き主君のお導きに違いないと、三人手を取り合い、涙を流して再会を喜びました。

翌日のこと。もう日も暮れかかりました頃おい、甲屋の店先に物々しくやってまいりましたのは、武士の一行でございます。

「頼もう、頼もう。主人はおらぬか」
「はい、ようお越し」
「身分のあるさるお方がお泊まりをご所望だ、案内をいたせ」
「ありがとうございます。あのう、失礼ながらどちらのお武家様で」
「わけあって名乗れぬが、京の都から信濃国へ帰る途中の者だ」
「さようでございますが、ではどうぞ奥へ」

家来達の後から入って参りましたのは、目つきの鋭い大柄な武士だ。漆塗の侍烏帽子に頂頭掛の懸緒、麻織の直垂に大小を腰に差し、店の内を睨め付けるように見回すと、ずいずいと大股で入って来る。

友三は奥の一間まで案内をいたしまして、「どうぞごゆるりと」。
一礼をして襖を閉めましたが……、その胸の内はというと、まるで早鐘のように高鳴っておりました。それもそのはず、襖一枚隔てた向こうに居るこの一人(いちにん)こそが、亡き主君の仇、他ならぬ望月秋長その人であったのです。(①)ここで会ったが百年目、これぞまさに盲亀の浮木、優曇華の花咲く春の心地とはこのことかと(②)、はやる気持ちをぐっと押し込めて、奥方と若君の部屋へと掛けだしてゆく。(①)

物語ここからが面白いところですが、続きはまた次回に申し上げたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?