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3分講談「石の宝殿由来」

世界には、誰が何のために造ったのか分からない、謎の石造物が多く残されています。有名なものとしては、イースター島のモアイ像や、イギリスのストーンヘンジなどがありますが、日本にも、謎の石造物が各地に存在しています。

たとえば、奈良の飛鳥には、鬼のまな板・鬼の雪隠などと呼ばれる巨大な加工石がありまして、鬼が旅人を捕まえて料理した場所だとか、鬼が用を足すための巨大なトイレだとかいう伝説が残されておりますが、これらは考古学的にみれば、古墳を造るための石材を切り取った残りが放置されたものだそうですね。ですから、天然にはあり得ない、幾何学的な形で残っているわけですが、古墳が造られなくなった時代の人々の目には、世にも不思議な謎の巨大石と映ったのでしょう。(①)

さて、日本で最も大きな謎の石造物のひとつといえば、兵庫県高砂市にあります、「石の宝殿」でございましょう。その大きさは、横6m、縦7m、高さ6m、重さは推定五〇〇トンにも及ぶそうで、現在は、生石(おうしこ)神社のご神体と位置づけられていますが、古代より、山の中腹に、家を横倒しにしたようにもみえる、謎の巨大石があったところから、それをご神体としてまつるようになったものです。実際に現物を見てみると、確かに、人が作ったとは思えないほど大きく、きれいな立方体に削られています。そのためか、この石の宝殿には、こんな由来が伝えられています。

はるか昔、まだ神々が日本国土を作っていらっしゃったときのこと、オオナムチとスクナヒコナという神が、出雲国から播磨国へとやってきました。オオナムチは、別名・大国主ともいいます。あの「因幡の白兎」で有名な、大国主です。スクナヒコナはオオナムチの相棒で、体の小さな神です。オオナムチの手のひらに乗ったり、稲穂のしなりをバネにして遠くまで飛んだりしながら、国を豊かに整えるための旅を続けています。ここ播磨は、よい石の産地で、あたりには、大きな岩山がたくさんあります。スクナヒコナは、オオナムチの肩にぴょいっと飛び乗り、遠くを見渡して言いました。「あの山の石で、我々の宮殿を作ろう」。

スクナヒコナは、体は小さいが、たいそうな力持ちです。大きな鑿で「えいやー」と岩山を切り取り、軽々と運んで、山の中腹に降ろしました。さあ宮殿を作ろうとしたとき、麓のほうから、ざくざくと大勢の足音が聞こえてきました。みると、地元の神々が徒党を組み、土煙を立ててこちらに向かってまいります。その中の一人が言いました。

「我こそは、播磨に坐す伊和大神の子・阿賀の神と申す者。国作りの神とはいえ、われらの土地を勝手に荒らすとは何事でありましょうか。お相手いたす、お覚悟召され」。

「いやいや、誤解じゃ、荒らす気など毛頭ない、ただ国を良くしようと…」

言い訳する間もなく、わっと取り囲まれてしまいました。多勢に無勢…と思われるところですが、オオナムチとスクナヒコナは特別な力を持った国造りの神ですから、傷だらけになりながらも何とか地元の神々を説得し、ようやく一息ついたころには、夜が白々と明け始めていました。

「やれやれ、せっかく宮殿を作ろうと思っていたのに、もう体力が残っておらんわい」。

そう言って、作りかけの横倒しの宮殿に入っていきました。それ以来、現在までも、この石の宮殿の中で、人々の暮らしを見守り続けていると申します。「石の宝殿由来」の一席。

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