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日本に渡来した玄奘の霊骨 その4

昭和19年10月、玄武山上に五重塔が完成されました。
そして中国側は予め分骨していた玄奘三蔵の頂骨の一部を日本仏教会会長におくりました。
そして分贈にあたり下記の言葉を送ります。

『法師は仏教東史上の一大恩人なるをもって、日中両国の仏教徒は一意同心あいともにこれを祭り、永遠に法師の遺徳を讃仰せんとするものなり』

と宣言したといわれ、その後、日本へ運ばれた霊骨は蕨市に安置されたが本土空襲が激しさを増し蕨市から埼玉県の慈恩寺に移転されたのです。

このような経緯をもって遠く中国から日本の地に分骨されたのでした。
戦争という『生きるか死ぬか』という極限状態にもかかわらず日中両国が協力し玄奘三蔵の骨を大切にして多くの人の手を借り、数々の偶然が重なり日本へと分骨されたのです。

生きている時も多くの人に愛され死後も愛される玄奘三蔵。

現在もっとも熱心な玄奘三蔵の遺徳を偲んでいるのは奈良の薬師寺で立派な玄奘三蔵院が作られ毎年盛大な玄奘三蔵大祭が行われているのです。

その熱意によって玄奘三蔵の御遺骨は埼玉県の慈恩寺から薬師寺にも分骨されました。
従って御遺骨は現在、奈良法相寺の薬師寺と埼玉県の慈恩寺双方に祀られているのでした。

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