日本に渡来した玄奘の霊骨 その1
釈迦の本当の教えを知るために命をかけて玄奘(げんじょう)は往復16年の旅をし、長安の都に帰り18年の歳月を費やして原語仏教典の漢語訳に取り組みました。
その玄奘の霊骨が日本の埼玉県にあることは、ほとんど知られていません。
多くの人の縁で埼玉県、慈恩寺に玄奘の霊骨が来た経緯をこれから数回に渡り書いていきます。
玄奘三蔵は664年2月5日逝去し同年3月15日、霊柩は長安の慈恩寺に移され盛大な告別式の後、4月14日長安に埋葬されました。そして五年後の669年4月8日に南方の北原に改装されたのです。
ところが玄奘の霊骨が多くの偶然から昭和17年12月の太平洋戦争中に日本軍の手によって南京で発見されるのでした。
その経緯は次回お話します。
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