見出し画像

居なかった準備をしているのかもしれません

人と直接関わるとき、その人に何か私との思い出を残そうと思いません。
残ってほしくないし、自分の与える影響は最小限にしたいです。
今は一緒の場所にいても、別れたら私のこと忘れてくださいって感じで生きてると思います。
嫌いなわけじゃなくて、あなたを応援しているからこうしてる感じです。

当たり前ですが、前に冷たいと言われたことがあります。
他人と関わる上ではこちらも責任を持たなきゃいけないと思います。だから関わる人たちすべてが幸福になるように努めるし、あまり多くの人に直接関わるのには限界があります。
これは誰しもそうしているし普通のこと。でも人によって違う。
「広く浅く相手が幸せになるように努める人」「自分の周り数人に絞ってより良い幸せになるように努める人」に大きく分けられると思う。
どっちの生き方も悪くないけど、広く浅くなのに干渉しすぎるのは良くないし、少なかった数を無理やり増やすのは自分がついていけなくなる。
私は前者の方。
ただ、後者の誰かのために一生懸命な姿ってその様子を見てる人にも良い印象だったり、励ましを与えられるのも確かなのよ。そうすると自然と良き付き合いが増えてく。でもそういう時は全員が深く関わる対象にはならなくて、良い印象のままある程度距離を保った友達が増えていく。
そう考えると今の最も身近な友達に本気になった方が良いのだろう。
やっぱり広く浅くだと関わりのある人を自分で増やしても、自分が一生懸命誰かのためにしている姿を見て良い印象を持たれることはないのよ。

広く浅く友達を幸せにしようなんて、責任を持たないでいようみたいな逃げ腰だし、思ってることすべてを伝えないし、してあげないから他人に何も思っていないのと同じに捉えられる。
他人に働きかけなきゃ無いのと同じ。その点広く浅くの人付き合いは自己中に位置づけられる。
やっぱり他人と深く関わる覚悟を身につけなきゃなのかも。

私は誰かの物語のメインキャラじゃなくてモブキャラでいいです。この精神で生きている人はきっと大半から忘れられる。居なかったことになる。
本人が希望しているから本望なのかもしれない。
ただ、自分の物語に出る人はみんな一律の情報量で、写真だけ載ったカタログと変わらない。仮に本当に関わったら良かったと思う人がいても気づかない。
だから心の余裕があるときはもう少し他人に干渉してみてもいいのかも。


文章は少し違って面白い。
相手が具体的にいなくても読んでくれたひとがいると思えばその人だけに全力になれる。そこで人を選ぶかもしれないけど、誰にでも響く物語なんてないから、せめて自分の届けたいと思う人に一生懸命になってもいいと思う。
たまたま届く人がいて、嬉しくなってくれたらいいです。
私は文章においては誰から届けられた幸せなのかをすべては覚えなくていいというスタンスで生きています。だれが言っていたか忘れたけどこんな言葉があったなって言葉だけでも伝われば言葉を送るものとしては十分だと思ってます。真剣に紡いだ言葉には気持ちがこもっているからね。

だから、忘れられていいから沢山の人に言葉を届けてちょっぴり幸せにしたいものです。

2024.5.22

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?