#no1・風あざみ〜少年時代〜

茶ぶどうさんの{夏の終わりに「風あざみ」 井上陽水「少年時代」}
にくすぐられ書いてみました。

昼のTVで少年時代が少しだけ流れ
長男と
「夏アザミ?ん?なんだっけ」
と、なり、気になってググったら
note"茶ぶどう"さんの記事が出て来ました!

刺激された和多志は勿論、コメントもさせて頂いた訳ですが、コメントに思いの丈を伝え切れなさそうだったので
初共有させて頂きました✨

茶ぶどうさんの{夏の終わりに「風あざみ」 井上陽水「少年時代」}
も合わせてご覧頂けると、和多志の記事も繋がると思います😋


アザミが春の季語にも驚きでオニアザミが浮かんでた和多志は、鮮やかなピンクが冠毛に変わり風に揺られる頃、節気は秋になっているので暑さ残る今日この頃、夏も終わり冠毛が飛んで行く姿を思い浮かべていました。(下書きが8〜9月でした)

でもそれはオニアザミを知ってからの事。

それでも陽水さんですからね、最初は素直にアザミの花なのだろうかと疑っていました。
歌で夏といえば、もー真っ盛り!元気モリモリ太陽ギラギラ、な勝手なイメージ、、、所が
スローリーに、夏が過ぎ風あざみ、涼しげを装い夏模様。和多志の心はてんやわんや😂
でも陽水magic、風あざみ、ひらがなですしね、ちょっと夏から始まる歌詞なのにいきなり秋に気持ちを持って行かれて嘲笑われた気がしてました😅
そう、あざみ、あざられ、あざ、あざむ

こんな感じだったので茶ぶどうさんの記事が和多志の心をくすぐったのだと思います😊

昔、息子が初めてオニアザミの葉を通学路で見つけた時、

「母さん!!危険植物があったよ!トゲがいっぱいあって大変!!!」

と、和多志も慌てて駆けつけたものの、花をつけていないオニアザミは見た事なく、
「こりゃ大変だ!学校に連絡だ💦」
なんて事もありました😅

ウチの近くは田舎なので私の背丈を超えるオニアザミが沢山。越して来た頃はビックリ‼️と言うか、冠毛はたんぽぽだけではないのか💧冠毛も、たんぽぽの5〜6倍くらい?塊で飛ぶと比べものにはなりません💦鬼と言うより怪獣?妖怪?
時より吹かれて飛んでくる姿はケセランパセラン😁

脱線してしまいましたが
陽水さんの素敵なパラレルワールド満載の少年時代。詩を作る時、きっと深く考えるより、ふわぁっと音を楽しみながら作っておられるのでしょうね。

改めて歌詞に注目すると

(夏が過ぎ風あざみ
誰のあこがれにさまよう
青空に残された私の心は夏模様)
---空が高くなる頃、自分と誰か、なのか、それとも誰か、を想うのか。空が高くなるのは夏が秋へと変わる頃。でもまだ夏の青空が残るので見上げれば遠く無い記憶が蘇る。

夢が覚め 夜の中 永い冬が
窓を閉じて 呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき
---夢とは見る夢か、叶える夢か。夏の想い出がまだ吹っ切れて無くてキュンとする青春時代、くぅ〜😂😂😂

夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火私の心は夏模様
---祭りに灯る明かりは宵に良く合う淡い輝き。篝火に想いを寄せる人が照らされるなら、その胸の高鳴りに花火が夢燃ゆる

目が覚めて 夢のあと
長い影が 夜にのびて 星屑の空へ
夢はつまり 想い出のあとさき
(繰り返し)
---影が伸びるのは夕暮れ時。そのまま空へ返せたならきっと2人は一緒にいられそうですね

夏模様…これを聞くと誰もが人生でイケイケの夏、ではなく、とびっきりのはしゃいだ夏、でもない、どこかほろ苦く、ジュワーっと染みる思い出を想い出させるのでは無いかと思うんですけど、どうなんでしょう?
やんちゃだった夏ならつい、目を細めて思いを馳せてしまうような
和多志だけかな?トシかなぁ🤣
だとしても、造語に秘められる誘導が憎いなァ~☺️
夏の現在でも進行でも無い、過ぎてから始まるフレーズに新鮮味がいつかの夏にロックオン

こんなふわっと落ち所の無い妄想的な内容が正に少年の頃だからと括られるのかなぁ何て思います。でも、やっぱり気になるのが "あざみ"。ひらがななのが何となく、植物だけをさしてはいない気がする☺️

アジアの純真も、和多志のような凡人からするとだいぶ力を入れてらっしゃったように思うのですがサラッと「こんなに売れると思わなかったんだけどね〜笑」
と言い退ける所に、真剣に楽しみながら歌を作っておられる所が今もなお、魅了されちゃうのかなぁと胸の下の辺りが優しく満たされます。

じっくり丁寧に書いていたら時間と文が長くなってしまいました💦
もう10月だと言うのに💦早速2日に暖の戻り💧💧💧
この歌は優しいつめしぼ(冷たいおしぼり)の様に心にしみますぅ✨


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