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第二十二回タンメン会 「おめーに食わすタンメンは、前金食券制だ」の巻

大宮「食堂 多万里」

「タンメン会やりたい」
猛暑の日々なのに大川さんが言うので、グループLINEに書き込んだ。
「暑さをしのげる案、ありますか」
既読スルー。
大川さんもマコトも、考える気なし。フリさえしない。それはイタバシの役目だろとの、無言の圧力を感じた。
仕方なく、ぼくは四案ほど提示した。
「1はいやだな」
とだけ大川さんの返信。
「大宮駅から歩くと30分くらいかな」
とだけマコト。
はいはい、2案として提示した、大宮でタンメンを食べ、鉄道博物館見学のあと、また大宮に戻りナポリタンを食べる案がいいのね。
人気店のようなので、開店15分前の11時15分に大宮駅に集合とする。一応、マコトには釘を刺す。
「遅刻はなし」
「大丈夫、大宮は近いから」
なるほど。十条は半分埼玉県みたいなものか。
そして、当日。
中央線から新宿で埼京線快速に乗り換えたら、池袋駅手前で急停車。ついでに照明、冷房も切れた。池袋駅で緊急停止ボタンが押されたらしい。で、止まったところが、電化施設のなんたらかんたらで、とにかく電気が届かないとか。
車内の空気は、すぐにぬるくなった。
どよ〜ん。
汗がじわり〜ん。
「車外に出ると、大変危険です」
乗客の気分を察したようなアナウンス。
結局、8分遅れで池袋駅着となった。
これでは、ギリギリ遅刻だ。まあ、ジタバタしても始まらない。LINEで報告だけしておく。
「天罰だ」
とマコトの返信が来たが、罰を受ける謂れはない。ふたりのために、いろいろ下調べしてあげてるぼくは、とてもエライひとだと思います。
中浦和でふとスマホから顔を上げると、いつのまにか斜め向かいの席にマコトが座っていた。
同じ電車で、ふたり揃って遅刻となった。
「これは仕方ない。おれのせいじゃない」
遅刻常習犯のマコトは、無罪を主張する。定刻着の大川さんは、すでに暑さにやられかけているご様子のLINE着信。
「暑いから、ルミネのビームスで待ってる、だって」
「ビームスに大川さんが買える服なんて、一着もないだろ」
「桁がひとつ違うのに気づかずに、なんか買ってたりして」
改札を抜けビームスに行くと、大川さんは店の前あたりに立っていた。
「入れないよ、場違いで」
おお、大川さんにも空気を読めるときがあるんだな。

思ったよりも遠かった、大宮駅。
思ったよりも、デカかった、大宮駅。


目指す店は駅近のはずだが、外は台風一過の猛暑である。なるべく建物内を進む。とくに大川さんは冷房が流れてくる店と通路の境い目あたりを忍者のごとく進む。ただしササッではなく、タラタラと。しかも屋内なのに、日傘を差して。
さて、屋外へ。
あぢー。
瞬間で、スチーム調理されてしまう。はい、豚のロースト2匹ぶんと廃鶏のジャーキー1羽ぶん出来上がり。
いや、亜熱帯太陽ビームに焼かれながら、駅前なのにゴールデン街まがいの路地裏ディープゾーンをさまよい、干からびる寸前で目当ての「食堂多万里」にたどり着いた。

路地裏の名店と裏街道を歩いてきた老人。


暖簾をくぐるとすぐ脇に、風呂屋の番台のミニミニ版みたいなものがあり、オネーサンが声をかけてくる。
「前金制なんです」
壁の張り紙がメニューらしい。
「あとで追加してもいいんですか」
「じゃ、とりあえずビール中瓶と餃子と野菜炒めで」
「はい」
色のついたプラスチック板の食券が差し出される。あったなあ、こういうの。子供の頃、親と行った旅行先の食堂で、渡されたりしたものだ。西荻窪の二郎リスペクトのラーメン屋も自販機から、こんな札が出てきてカウンターの上に置くシステムだが、ここは手渡しで、テーブルに置くと、おばさんが取りに来る。全然、味わいが違う。
「あ、うちはトイレがないんです。なので、向かいのデパートか駅まで戻っていただくことになります」
ぼくは笑った。
「年寄り3人なんで、トイレが近いだろうと心配してくれてんですね」
「いえいえ、ただビールを注文されたので、お知らせしとこうと思いました」
「恐縮です」
「あたし、トイレ行ってくる」
早速、大川さんは消えた。

空席はすぐに埋まるのだった。
とりあえず、カンパーイ。


テーブル席がずらずら並ぶ店内だが、開店早々なのにすでに三分の一は埋まっている。そして、大川さんがトイレから戻るまでに満席となってしまった。
「カンパーイ」
大川さんを待たず、豚のロースト2匹でビールをグビグビ。ぷはー。ろくに歩いてないのに、皿が割れかけたカッパの気分だ。地球温暖化、恐るべし。
戻った大川さんを交え、またカンパーイ。出てきた餃子はパンチのあるやつで、野菜炒めは舌馴染みのいい箸が止まらないやつで、すぐにビールはなくなった。

3人に6個は有難い。


タンメンの具材と似ているかもだが、まったく問題なし。


ぼくは入り口脇で、追加注文した。
「ビールもう一本とメンマ」
食券くれながら、オネーサンはにっこり。
「3人とも、オシャレですねー」
「ええっ、本当ですか?」
「本当ですよっ」
そういえば、ぼくは黄色の派手なTシャツだし、マコトもいつもの地味なポロシャツではなく気取ったTシャツだし、大川さんも黒地に黄色の花柄で、我々としてはマシな格好をしている。とはいえ、誉められると、照れるなあ。ぽりぽり。
早速、ふたりに報告。
「おれのTシャツ、高いもん」
とマコト。
「あたしのは千円」
と大川さん。ビームスへの道は遠いが、大宮ではオシャレ認定ですよ。気分がよくなり、さらにビールをごくごく。

ビールは冷たく、メンマは熱かった。


さて、と。
「そろそろ、タンメンにいきますか」
「ビールも、もう一本」
マコト、飲むなあ。豚もおだてりゃ、ビール飲む。
「かつ丼、食べたい」
珍しく、大川さんが食欲をみせる。廃鶏もおだてりゃ、腹が減る。
「だったら、タンメンは2杯?」
「3杯でしょ。最近2杯を分け合ったりするけど、よくないよ。タンメン会だもん」
珍しく、真っ当な主張である。
このとき、隣のテーブルのひとが注文していたタンメンが出てきた。横目で見た大川さんは、そのボリュームに前言撤回。
「かつ丼はやめとこうかな。へへ」
そうです。あなたは古希なのです。
ぼくはまた入り口脇へ。
「ビールもう一本とタンメンみっつ」
オネーサンは首を傾げた。
「結構ありますけど、大丈夫ですか?」
やさしいご指摘だ。かつ丼やめても、まだ多いのだ。でも、食べる。なぜなら、
「ぼくたち、タンメンを食べる会なんです」
「あーあ、わかりました」
プラスチックの食券が差し出される。わかんないだろうに、深く詮索せずにわかったことにしてくれたオネーサン、ありがとう。

きたぞ、我らがタンメン3杯。
キャベツ主体の豚肉ちょい。


登場したタンメンを前に、我々は気合を入れた。
スープをいただく。うん、野菜の味が溶け込んだ、町中華の上湯スープと呼びたくなる味だ。これなら、飲める。
野菜はそこそこ煮込まれて、食べやすい。
麺は、極細麺。うん、食べやすいが、早く食べないと伸びる。
無言無心無我となって、それぞれがタンメンと向き合う。食べる、食べる、食べる。
揃って、完食。やはり、清々しい。ただし、額は汗でテカッているが。
「こうじゃないと、若い子がタンメン会入りたいと言ってきたときに、示しがつかないよね」
大川さんはもっともらしく一人合点するが、入会希望の声なぞ、聞いたことはない。弟子が欲しくなる年頃だろうか。古希ってやつは。
「ごちそうさまでした」

極細麺とやや太爺。
完食。


席を立つと、オネーサンがたずねてきた。
「おいしかったですか?」
「スープ、いいですね。麺はどのメニューも細麺ですか?」
「うちはそうなんです。お近くですか?」
「東京からです」
「えーっ、わざわざ」
「おいしいって評判を聞いて。でも、このひとは近くです」
「十条なんで。一本で来れます」
なんでもない受け答えだが、すべて明るくて、気取りがなくて、まっすぐで、ほんわかさせられてしまう。いいオネーサンだし、いい店だ。賑わっている理由がわかる。

オネーサン交えて、はい、ポーズ。


気持ちよく店をあとにした。
そこには、気持ちが悪くなりそうな暑さが、相変わらずの勢いで待っていた。ぎらりん。
逃げるようにニューシャトルに乗り込み、鉄道博物館に向かった。

ニューシャトルとオールドロートル。


マコトがあたりを見回す。
「大人だけって、おれたちだけじゃない?」
たしかに、多数のベビーカー含む子連ればかりが目につく。我々の年代もいるが、すべて孫と一緒だ。せめて六角精児か市川紗椰はいないかと探したが、見当たらなかった。いいさ、鉄ジイと鉄バアだと思われても。なんといっても、屋内施設の鉄道博物館は冷房が電車内より効いている。居心地はグリーン車である。
息を吹き返した我々は、体内の鉄分掻き集めてはしゃいだ。いや、べつに鉄道ファンでなくても、実車がぞろぞろ展示されている空間は胸踊る。それも現役引退した車両ばかりだから、懐かしい思い出が甦ったりする。
「おっ、ブルートレインの「あさかぜ」がある。おれは「さくら」だったな」
「マコトの田舎は長崎だからな。ぼくは父親の田舎が熊本だから「みずほ」だった」
「‥‥ふん」
大川さんは寝台特急に乗ったことがないのだった。かわいそう。そして、優越感。

蒸気機関車。
休憩。


こんな会話と車内のシートでひと休みを繰り返していると、子供より大人のほうが楽しめる場所なのではとも思えてくる。
ガラス越しだが、御料車も展示されていた。
その一両に「御剣璽奉安室」があった。
「なに、これ」
と、大川さん。
「三種の神器のひとつ、剣を置くための車両じゃない」
「三種の神器って、洗濯機?」
「おいおい、本物のほうだよ。天皇のみっつの証で」
「それって、士農工商とか?」
「まったく、違う。それは江戸時代の身分制度だし、だいたいよっつあるじゃないか。三種の神器は、剣と鏡と玉」
「えー、そんなの習ってない。洗濯機のほうは知ってるけど」
「洗濯機って、それは高度成長期のほうだろ。テレビと、あと掃除機だっけ?」
「冷蔵庫だよ」
あー、大川さんに訂正されてしまった。戦後間もなくのことは、上の世代のほうがよく覚えてるんだなあ。

電気機関車。
休憩。
東北新幹線。
休憩。


大川さんは時刻表ダイヤクイズ、マコトはオモチャの列車を脱線させないで一周させるゲーム、ぼくは鉄道となんの関係があるか不明の自転車漕ぎをやって、満足。
「なんか、いまの子供は上品だね」と大川さん。
「親が全然叱らないのは、どうなんだ」とマコト。
鉄道とは関係ない感想を述べつつ、大宮駅に戻る。
「少しは腹減った?」
「おれは食えるよ」
「あたしはコーヒー飲みたい」
ならば、予定通りに行ってみますか。
今回はタンメンのダブルヘッダーではないが、このあともお食事となっている。せっかく大宮まで来たんだから、有名なレトロ喫茶の「伯爵邸」で、大宮ナポリタンを食べる。

伯爵邸と領民1、2、3。


「ごめんなさい。いま満席で、お暑いですけど、外のテーブルで少しお待ちいただけますか」
お上品なマダムに言われると、お上品に弱い我々はいやですとは言えないのだった。
しばらく待ち、店内でもまた待って、ようやく席に通された。時代遅れの装飾過剰が逆にゆるかわいい空間は、まさに老若男女で賑わっていた。外は酷暑でも、ここには地球温暖化以前の空気が漂っている。
「ナポリタンふたつとフルーツクリームみつ豆。それとアイスコーヒーふたつとブレンドをお願いします」
オーダーをメモすると、マダムは大川さんに微笑みかけた。
「まあ、素敵な柄のお洋服ですね」
なんと、今日二度目。オシャレさんと褒められた。ついでに、こんなことまで。
「どちらかとご夫婦かしら?」
すかさぐぼくはマコトを指さした。
「このふたりが夫婦です。ぼくはお供」
「そうですのね」
人の良さげなマダムに、マコトは否定の言葉を発することはできなかった。するとなんということでしょう。大川さんは、マコトの肩に頭をもたげてみせたのだった。

ニセ夫婦。
でーん。
ででーん。


でーん、でーん。ナポリタン登場。山とはいわないが、丘ぐらいの迫力ある盛り。具材のネギがたぶん埼玉県産で、大宮ナポリタンと名乗る条件を満たしているようだ。それより、具材のイカが気にかかる。埼玉でなぜイカ? ナポリタンでなぜエビでなくイカ?
まあ、いいか。(駄々々洒落)
粉チーズとタバスコをたっぷり振らずにはいられない、正統派のナポであった。(イカ以外)(あ、また駄洒落)
さらに、でーん。フルーツクリームみつ豆がまた、名前負けしていないゴージャスのてんこ盛り。
マコトはムシャムシャ食う。長生き、決定。
ぼくはモグモグ食う。長生き、どうかな。
大川さんはパクッと食って、コソッとマダムじゃない店員さんに下げてもらう。長生き、もうしてる。せこいの、決定。
「だって、マダムを悲しませたくないじゃん」
はいはい、気遣いってことにしときましょう。
ひとは時間をかけてゆっくり老衰していくって話になって、知り合いのだれが老衰のどのあたりにいるかを意地悪く分析する。一番危ないのは、大川さんと同じ歳で、以前タンメン会の途中で事務所に遊びに行ったら病院帰りだったシマモトさんだとなった。最近一日を酒とざるそば一杯で過ごしているんだから、本当に心配だ。
ここでマダムがナポリタンの皿を下げにきて、ぼくの腰近くまで伸びた長髪を褒めた。
「ここまで伸ばすの、どれくらいかからのかしら。素敵ね」
マダムが去ると、マコトが口を開いた。
「で、だれだっけ。ほら、あのひと」
ひとの名前が出てこないのは、ぼくだってよくあることだ。
「さっきまで話してたひと」
「シマモトさん? さっきって、むしろいまだよ。忘れたのか」
「出てこなかった」
認知症が一番危ないのは、マコトかもしれない。長生きはするだろうけど。
話はいつものように病気全般になり、今度は大川さんが顔をしかめた。
「雨宮、だれだっけ?」
塔子? ではないよな。
「ほら、漬物が好きなひと」
「もしかして、梅宮辰夫? とっくに亡くなってるけど」
「その娘」
「梅宮アンナ、ね」
「そうだ。ガンだってね」
認知症が二番目に危ないのは、大川さんかもしれない。
店を出ると、少しだけ暑さが和らいでいた。
ふう。夏を生き延びるだけでも、大変だ。
そろそろ帰らないと。
いくつかある帰りの電車のなかから、大宮近くに住むマコトが上野東京ラインを選ぶ。乗った車両がボックスシートで、ちょっとした旅気分になった。鉄道博物館で、いろんな車両のシートに座ってきたのに。やっぱり、窓外を景色が流れてこそ、かな。
その景色がビュンビュン流れていく。上野東京ライン、速い。
「だろ。おれの選択、正しいんだ」
だったら、タンメン会の店選びもやってもらいたいものだ。
ところが、である。赤羽でマコトが降りたあと、尾久で電車はストップ。上野駅ホームで落し物があったとアナウンスが流れる。
「肉、かな」
大川さんが不謹慎ににやつく。
のちに、肉ではないが、ひとが転落したとアナウンスがあった。大事にならずによかった。帰るの、遅くなるし。
結局、行きと同じ8分遅れで東京駅に着いた。マコトの選択は正しかったのだろうかと思いつつ、中央線でおうちを目指したのであった。


さよなら、夏の日。

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