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第六回タンメン会 池尻大橋「鶏舎」

「おめーに食わすタンメンは、冷やしねぎそばのあとだ」
の巻

2022年7月

暑中、自分にお見舞い申し上げています。
ぼくという崩れやすい砂浜に、ザブンザブンと押し寄せる年波。その第一波は、季節外れの花粉症的目の痒みだった。これは目薬差しまくりでなんとか乗り越えたと思ったら、第二波として奥歯の歯茎が腫れてしまった。いろんな薬を飲んだり塗ったりした上、トウフとハンペンの超やわらか食生活で過ごした。トウフも絹はいいが、木綿だと固くて食べられない。というのは嘘だけど、チクワはちとしんどかった。
そして結論、飽きた。人間、食べられるうちに、食べたいものを食べておかなくてはいけない。よく最後の食事はなにがいいかなんて話になる。ぼくは「肉厚のアオリイカの芯がレアになった天ぷら」と答えているが、現実には「タンメンのスープ」が飲めたら御の字だろう。
とにかく痛みは取れたものの、完治せずにタンメン会の日を迎えてしまった。
えーいままよ、と古くさい叫びを上げて清水の舞台ならぬ井の頭線を飛び降り、駒場東大前駅から汗をかきつつ徒歩18分。

ナウな街とゼンな3人。


「池尻大橋に行きたい」
大川さんたっての希望地にたどり着いた。ちなみにぼくが最寄りの田園都市線で来なかったのは、渋谷を経由したくなかったから。歳と共に、どんどん渋谷が疎ましくなっている。スクランブル交差点に立っているだけで、寿命が縮む。渋谷公会堂もクロコダイルも、もっと原宿寄りに引っ越してほしいくらいだ。ついでにハチ公も。(代々木なら、なお可)
しかし、なぜに池尻大橋?
「いままで下町や郊外ばかりを選んでいたくせに」と、マコトがからかう。
「もしかして、自宅近くの千住大橋と間違えたのか?」
「来てみたかったんだよー」
オトメみたいにはにかまれてもなあ。転んだだけで大腿骨骨折した、お年寄りなのに。
「青山通りだっけ、246の向こうはわかんないからさー」
「このへんは玉川通りだけどね」
「ユーミンの歌っぼいじゃん」
「それはたぶん、中央フリーウェイ。下は甲州街道だよ」
「詳しいなー」
「大学の多摩校舎に、気が向くとクルマで通ってたから。そういえば、よくユーミン流してたな」
「くー、おしゃれ。悔しい」
マコトも自慢する。
「おれはいつもクルマだった」
「くー、お坊ちゃん。腹立つ」
どうやら大川さんは、ひとりでは足を踏み込み難いおしゃれタウンに、行ってみたくなったらしい。どうせ、タンメン食べるだけなのに。もしかすると、芸能人にでも会いたいのかもしれない。
まあ、いいのだ。資産運用好きのマコトは池尻大橋に持ち物件があって、ちょうど空室なので見学がてらの会にできたから。

池尻大橋一なじむ店。


「あ、サンダルが安い」
せっかくのおしゃれタウンなのに、大川さんが最初に飛びついたのは、地方のバイパスでよく見かける靴流通センターだった。なんでこんな場所にあるんだろう。旗艦店ってやつだろうか。
「業務スーパーもあるよ」
「狭いし、ちゃちい」
こちらには冷淡。基準がわからん。
とにかく坂をえっちらおっちら。大川さんは(坂だけに)お上りさんよろしく、あちこちきょろきょろ。
「やっぱ、違うなー。信号待ちのクルマがミニとワーゲンだもん」
南千住では知らんが、東京全体的には、車種を覚えたての幼児のごとく騒ぐことではない。
マコトの持ち物件に到着。
15階建の10階。1DK、35平米。陽当たり良し、眺望抜群。築数十年だが、内装良好で壁厚。バス、トイレ別。エアコン完備。3駅利用可。家賃11万5千、管理費2万。興味のある方は、マコトのメッセンジャーまで。
はい、宣伝しといたからね。
(付記、このあとすぐに借り手がつきました)

自称、高所恐怖症。


ちなみに大川さんの感想。
「アーバンだよ、アーバン」
久しぶりに聞いたわ、その単語。
ベランダに出て、さらに感想。
「わー、無理。高くて怖い。すぐに死ねる」
はい、宣伝台無しです。大川さんの住んでる5階だって、落ちたら死ぬわ。わずかな段差だって、大腿骨骨折するんだし。
では、タンメンを目指そう。
地上に戻り、坂を下る。
「青葉台とか台がつくといいよね」
「南平台も近いよ」とマコト。
「あとで行きたい。やっぱ台だよ。でもこのへんは坂の下だけどね。はは、建ってる家がちいさいよ」
おしゃれな街並みに当てられていたが、やや余裕を取り戻したようだ。大川さんの暮らす1LDKより絶対大きい家を指差して、嗤っている。うん、笑うではなく、嗤うだ。
「うちも南千住台にしようかな」
勝手に町名変更するな。
「台もなにも、南千住に坂ないだろ」
「あるよ、川の土手」
「0メートル地帯じゃん」
「そのうち、サウス・サウザンド・ヒルズとか言い出しかねないな」
ほい、店に到着。
「鶏舎」は、道々見かけたツンツンおすましショップに比べれば庶民的だが、築年不明のド昭和店舗ばかり訪ねている我々には、少し敷居が高い。大川流に言えば、「鶏舎」台。
店の選択はぼくの担当だが、今回はちょっと苦労した。タンメンがうまそうで、我々が馴染めそうな店がなかったのだ。で、背伸び承知でここになった。
開店10分前で、店前にはギャルがふたり地べたに座り込んでいたが、これは向かいのおしゃカフェ待ちと判断して、目黒川まで散歩。
途中、目にも涼やかなすだちそばで有名な「土山人」を発見。
「あー、ここにあるんだ」
「聞いたことあるなー」と大川さん。
「本当に?」
「ドサンジンだよ」
「‥‥それ、それだよ」
「知らないでしょ。ドサンジンって、読めなかっただろ」
「へへへ、でも荒川区にもあるよ、土がつくそば屋」
「土手屋じゃないの」とマコト。
あとで「荒川区 そば屋 土」で検索したが、出てこなかった。老婆はすぐ、口から出まかせを言う。老爺はすぐ、ひとをやり込めようとする。どちらも老害である。
目黒川に出ると、なんと川沿いに「鶏舎」の提灯がずらり。

提灯ひとつ、おいくら?


「儲かってるんだなー」
暑さの残るなか、すだちそばで弱気になったぼくが、ここで提案。
「鶏舎は冷やしねぎそばが人気らしいから、今日はタンメンふたつで、ひとつはそっちにしない?」
「ダメ! タンメンみっつ」
大川さんが、きっぱり却下。
マコトは慌て出す。
「人気あるのか。もう5時だ。行こう」
「まだ大丈夫だろう」
「店を舐めちゃいけないんだ。十条だって、この頃へんな人気が出たせいか、昼は11時半までに行かないと入れない店、多いんだ。それでよく夫婦げんかになるんだよ」
マコトに急かされて戻ると、すでに店は混雑。

ぎりぎり、セーフ。


「ほら、見ろ」
ふたつあるテーブルのひとつはさっきの地べたギャルに占められ、もうひとつも埋まってる。カウンターになんとか三席見つけ、ぎりぎりセーフ。座ったときには、店前には列ができていた。
「だから、言っただろ。俺は何度も痛い目見てるんだから。ほんと、危なかったよ」
老爺はすぐ、自分の手柄を言い立てる。嗚呼、これもまた老害ならざらんや。
清潔な店内で、あきらかに薄汚れた最高齢組の我々は、いつもより小声で丁寧に注文。
「ビール2本とギョーザ、お願いします」
歯茎が腫れているぼくは、食前に飲み薬。
乾杯も控えめ。こちん。

トウフハンペン生活から、タンメンへ。
ビールは心のお薬。


厨房の隅で、人気の冷やしねぎそばが盛られていくのが見えた。その丁寧な仕事ぶり。美味しそうな見た目。最後に透明な油がかけられていく。たまらん。と大川さんは思ったのであろう。
「冷やしねぎそば、ひとつ頼もうか」
あっさり、前言は撤回された。
「ここ、絶対にうまいよ。単品も食べたい」
マコトも、ザーサイと肉細切り炒めを注文。ついでに、ビールの追加も。

控えめにギョーザでポーズ。
肉肉しい肉、搾搾しい搾菜。町ではなく、街中華の一品。
名前は違うが、冷やし中華の日本一に認定。


我々は幼い日にチクロで舌をやられた、ただのタンメン好きである。だから半可通ぶらず、あっさりと書かせてもらう。
ギョーザこそまずまずのおいしさだったが、あとの三品はどれも素晴らしく美味しかった。上品な雰囲気と真面目な美味しさにやられ、我々はいつになく寡黙になり、黙々と食べた。併せて、黙々寡黙々。だから、いつものアホな会話はなし。
これでいいのか、タンメン会。これでいいのだ。賛成の反対の反対なのだ。

池尻大橋は具も彩り重視。


店をあとにしても、我々は寡黙だった。単に食い過ぎたのだ。
「お腹いっぱい」
「俺も腹パンパン」
「腹に石入れられたオオカミの気分だ」
ぼくの絵本作家らしい言葉が、大川さんにバカウケした。
「うひゃっははは」
笑いガスを吸わされた砂かけ婆のごとく笑いつづけ、それで腹が少しこなれたらしい。
「細麺がよかったね」
「ねぎもたっぷりだった。なのに、結構ねぎ大盛りで注文してるひといたな」
「豚肉もやわらかかったし」
「細切りにしては太いのに、腫れた歯茎でも噛めたよ」
「タケノコも変な臭みがなかった」
「‥‥それは、普通ないでしょ」
「えー、あるじゃん。薬臭い水に浸かったみたいなやつ」
「そんな店には、行かないことだ」
大川さんの台町への憧れを満たすべく、南平台を目指し神泉へ向けて歩いた。

渋谷界隈は苦手だが、この坂は好き。ぜひ文京区に移動させたい。


いい坂があった。
「イタバシくん、坂好きだよねー」
「坂の町、文京区で育ったから」
「ちっ」
いい坂だが、きつい坂だった。大腿骨骨折した大川さんに合わせ、ゆっくりゆっくり上っていった。それでも登頂に成功したときは、息が上がっていた。
いつものように、喫茶店でひと休みしようとなった。
「神泉に、ジャズ喫茶があったんだよ」
「いつの話?」
「50年前」
おいおい、ぼくもまだ小学生の頃だよ。

神泉で一番似合う店の前で。


ジャズ喫茶はもちろんなかったが、駅前に古そうな喫茶店を見つけた。
コーヒーを飲みながら、アホ話タイムかと思ったが、そうはならなかった。
「文学の話、してないねー。村上龍だっけ」
「俺、あれから本読んでないから、無理」
終わり。たぶんマコトは生涯、ビジネス書や啓発本含めても、百冊本を読むことはないのだろう。そんな人生もある。目の前にある。
「そういえば、タンメンのやつ面白いねってお客に言われるけど、あたし、読んでないんだよねー」
編集長まで務めたのに、自分のことが書いてある文章すら読まない。そんな人生もある。目の前にある。
いいけどさ。張り合いなくすよ。でも、書くけどね。そんな人生もある。目の奥にある。

ユーミンぽさゼロで終わる。


「次、どこ行こうか」
「次で最後になるかもしれないからなあ」
と、ここでマコトが突然の不穏な発言。大川さんは構わず、
「やっぱ、下町だねー」
はいはい。置かれた場所で、咲きましょうね。
ちなみに、老夫婦の営む喫茶店は、開業40年とのことだった。こっちは知らなかったということは、大川さん、神泉来るの40年以上ぶり?
ちなみに井の頭線を使えば渋谷を通らずに神泉には来れるけど、ぼくも3年ぶりくらいだった。

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