今上陛下のメッセージを受けて

 在位中最後となる誕生日に際し、国民に向けた天皇陛下のメッセージを受けて、私の思いやその時の情動を記録しておきたくなった。
 
 陛下のお言葉をお聞きして、改めてこの国の奇跡を思った。
もちろん私見に過ぎないのだが、この国はもしかしたら……
    私は、思いやりの気持ちに欠けているのでは
という自らの不足を深慮した皇太子当時の今上陛下御自身のご見識と
 この陛下の「弱さを見せた誠実」に応えた
    正田美智子という「一女性の使命感と献身」
これらの結合による化学変化によって、世界に冠たるこの国の皇室を実らせ、この国の繁栄と弥栄を次代へ繋げたのではないかと想像したのだ。
 今上陛下のメッセージには、このことを国民に広く周知させたい欲求が込められているような気がしてならない。
 国家国民統合の象徴である天皇は、あなたたち国民の代表である一人の女性に支えられてその務めを全うすることができたのだよと……。

 さらにこのことから、持論を展開したい。
無常の人や社会を健全に変化させ豊かにするのは、強者の傲慢ではなく
    「弱者の誠実」ではないか
と思うのだ。
 思えば他者に手を差し伸べようとさせる力の方向は、常に弱者に向かう。
それは被害者であり、子供たち、高齢者、被災者、沖縄県民、外国人労働者、子育て中の母親であり、あらゆる遺族である。
 従って、弱さとは隠すべき部分ではなく、全ての人が内在する特徴であると理解したいと思う。パックマンの形や禅における丸の様に、閉じた円ではなく欠けて開いている部分の存在。それを認識することで人は、他者に寛容を向け且つ許容することができるのではないだろうか。
 多くの人が、「パートナーが見せる弱さ」に感応してそれを支えようとした経験があったことには、賛同してもらえると思う。
 強者。それは、弱者にある種の圧力をかける敵役であり。正論で論破するコメンテーターであり、強権を発動する為政者であり、覇権をもくろむ強国である。
 弱者を庇い、支えようとして向かう力。それは、無限ではない。従ってそこにはある種のトリアージを必要とすると思う。それはサンゴ礁などの自然環境であろうか。外国人労働者であろうか。高齢者であろうか。沖縄県民であろうか。被災者であろうか。
 私はその最優先順位を「家庭内で声を上げられない子供たち」にあると思う。

 過酷な労働を強いられる外国人労働者より
 犯罪被害者より
 捨てられる愛玩動物より
 食に供される動植物より
 埋め立てられるサンゴ礁より
 危険にさらされる軍事基地や原子力発電所付近の住民より
 虐げられる高齢者より
 仮設住宅で悶々とした日々を暮らす被災者より
家庭内で親からの虐待を受け「もう、許して」と書き残して逝った5歳の                                  船戸結愛ちゃんを想うのだ
他者からの虐待や、老衰による身体機能の不全以外の自死による生命の停止
 それを許している我々の社会の欺瞞。同じ種の子供という弱者に切迫する危険。
 それを放置しておいて
   何が動物の命か?
   何が沖縄県民の痛みか?
   何が自然環境の破壊か?
   何が景気回復か?
   何が高齢者の福祉か?
   何が……。

 親業に資格はないが、国家という生活基盤を支える人造りは崇高な職業だ。今、自助できない親を救わないと子が死ぬ。子供が死ねば国が亡びる。公助には限界がある。地域社会の共助システムを回復更新しておかないと、見えないウイルスに感染してしまい、気が付いた時には茹でガエルになっているような気がしてならないのだ。

 暴力のサイクル。蓄積期→爆発期→安定期(ハネムーン期)の三つの構成期間。ここに「嵌ってしまった人々を救済するシステム」を我々が喫緊に構築しないと国家が自滅してしまう。良い時もあるから、被害者は加害者を全否定できないのだ。そして児童虐待や子供たちの自死。

 トリアージはそこにあると思う。今、そこに在る危機。加害性の高い親に対する「医療機関による診断や心のケアの強制制度の法制化」。そこに手を入れないでどうする。それが陛下30年の勤めに呼応して行うべき、国民の成すべき勤めだと思うのだ……。   

 


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