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そのゲームを信じるということ、滝の裏を調べないということ
Sea of Starsをプレイしています。
SFC末期の日本のRPGに対するリスペクトに現代的なメカニクスを加えたとても丁寧なRPGで、評判通りとても楽しめています。動かしていて楽しいし、適度な厳しさのバトルが良いですね。
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ところでSea of Starsはあの頃のRPGリスペクトなので、「建物の裏や滝の裏の抜け道の先にある良いアイテム」がちょくちょくあるタイプのゲームです。最近はそれほど見かけなくなりましたね。(いや、思い返してみると今でもまあまあありますね)(結構ある)(あるなー)
ゲームにおける「滝の裏に抜け道」の初出はどのゲームなのでしょうか。
コンピューターゲームはとにかく滝の裏に物を隠したがるが正直もうやめてほしい
— 服部グラフィクス (@hattori2000) June 12, 2023
ゲームのすべての滝の裏を見に行くことに疲れた
私もご多分に漏れず、2Dの頃は建物の裏に隠れた道を探すためにキャラを擦り付け、3Dになってからは視点をぐるぐるぐるぐる回して通れる路地が無いかチェックしたり、滝と見ればひとまず頭を押しつけたり、ステージ開始地点から一旦反対方向に進んでみたり、ステージのゴールを見たらまず周囲をチェックしたり、一旦通り過ぎて裏に何も無いことを確認したりする呪いに囚われていますが、全てのタイトルでそうするわけではありません。
例えばマリオオデッセイでボスを倒してグランドムーンが出現した後で隠しムーンが無いか周りを探すことはしなくなりましたし、スプラトゥーン3のヒーローモードではステージ中にイリコニウムが隠されていないかを気にするのをやめました。思い返せば、これらのゲームではプレイ中に「このゲームでは探さなくていいんだ!」と感じられた瞬間がありました。
ゲームをプレイするという行為はゲームに込められた意図を汲み取る行為でもあります。そこには製作者との時空を超えたコミュニケーションがあり、優れたゲームはゲームとプレイヤーとの間に信頼関係を築きます。ゼルダBotWは祠のゴールである即身仏の裏に何かを隠すような野暮はしません。まだ信頼関係の築けていないプレイヤーはしばらく疑いを持って祠に入る度に裏をチェックしますが、それを何度か繰り返すうちに「あ、このゲームではそんなことしないんだ」と信じられた時、私たちとゲームの距離はグッと縮まります。
このゲームはツボやタンスにアイテムを隠さない
このゲームは本棚を調べても反応しない
このゲームはNPCに複数回話しかけてもテキストは変わらない
このゲームではセーブポイントが出てくるまではボス戦やイベント戦闘はない
時折、プレイ中に学んだこれらの約束事をゲーム側が破ってしまうことがあります。そうすると、せっかく結ばれたゲームとプレイヤーの信頼関係が揺らぎ、また腹の探り合いが始まってしまいます。
「たまーにアイテムが隠されてるなら反応しなくても一通りタンスの前ではボタンを押した方がいいのか?」「壁に掛かっている絵の前では?」「セーブポイントが無いボス戦がたまーにあるとなると道中はリソースを節約して進まないといけないのか?」「基本的に宝箱にしょぼいものしか入ってないのにたまーーーに良いものが入ってるのキツいよ」
良いゲームはゲームとプレイヤーの間でしっかりと「やらないこと」が共有され、守られていることが多いと思います。すぐ約束を破る友達がいると、別の友達との間でついつい「あいつマジでさー」という話をしてしまいますね。
というわけで、ゲーム中に滝が現れる度、私はゲームに問いかけます。滝の裏、何もないよね?これまで調べてきたけど全部何もなかったしね?うん、そうだよな、お前は滝の裏に宝箱は置かないタイプだよ。オッケーオッケー、じゃあ進むかー。
そこにはゲームと私の間に結ばれた信頼関係があります。
まあ結局その後必ず(絶対無いと思うけど一応……)と滝の裏を調べてしまう不義理を働いてしまうのですが。
約束を破るのはゲーム側だけとは限らない。ゲームからの冷たい視線を感じます。