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花札と「菊に盃強すぎ問題」のこと

最近えとはなっ!をやっているので花札の記事を書こうかなと思ってたら、自分が書いたのかと思うほど書きたいことが全部書かれた記事が出てきました。

せっかくなのでこの記事に便乗して、勝手に自分の書きたいことを続けようと思います。

この匿名ダイアリーと同じく、私もえとはなっ!をきっかけに久しぶりに花札をしっかりやっています。花札面白すぎる。

今ランキング上では私は125位らしいです。

さて花札(というよりもこいこい)の話題になるとよく出る話題が、最初の記事にもある「菊に盃強すぎ問題」です。菊の盃が絡む役である花見で一杯・月見で一杯はたった2枚で成立してしまうため、最短だと親の初手で完成してしまうこともあるなんとも理不尽な役です。

更に花見と月見は重ねることもでき、重ねて飲みになると10点、7点以上は2倍ルールで20点に跳ねる、これが最短2手で完成してしまうメチャクチャさ。菊の盃は文句なしの、こいこいにおける最重要な札と言っていいでしょう。

その役の強力さから、花見と月見は無しのルールなどもあるようですが、私はその辺りのルール改変には否定的です。突出して強い動きがあるとダメだからといって安直にナーフしてしまえば、確かに勝負は成立しやすくなるかもしれませんが、一方で展開が大人しくなりそのゲームの魅力を損ねてしまう可能性があります。最初の記事にもあるように、花札の中毒性は菊の盃を始めとする理不尽さ、勝ち負けの勾配の急さにあるのだと考えているからです。

一枚も札を扱わないままの理不尽な負け、手札の良さに任せた理不尽な大勝ち、あるいは自分が上がる寸前に成立する月見に対するブチギレ。勝負の天秤の過剰な動きが、感情を揺さぶり、人に花札を続けさせるのです。

それに、確かに菊に盃は最重要カードですが、言うほど壊れか?という疑問もあります。

まず花札は一つのデッキを二人に配分して遊ぶゲームなので、TCGのようなゲームに、極端に強いカードが現れることとは話が違います。それらのゲームにおける壊れカードはデッキの多様性を損ないますが、花札においてそのような害はありません。
また、菊に盃が手札にあれば勝ち、みたいな極端なことを言う人もいますが、相手も当然菊の札は最優先で警戒するので、菊に盃を手札に持っていても普通に負ける、あるいはカス上がり、みたいなのもザラです。親番で盃を持ってるケースで、最後まで取れずにやむを得ず放出したら相手の最後の札が菊で大負け、みたいな展開もあります。また、手札に盃と桜に幕、月見などが揃っている場合、持っている側には、いかに7点以上に役を持っていくかの駆け引きが発生します。そこで足元を掬われることもあったり。

花札の面白いところは札の種類にはっきりと強弱の差があり、それがリスクの濃淡を濃くしているところだと思います。そのリスクの濃淡が場に出ている札の種類によって緊張感が激しく上下させるのです。山札から引いた菊に盃が場に置かれる時の、ヒリつくあの空気です。
それにしても、菊は青短にまで絡んでくるので本当に強いですね。

ところで盃をナーフするのであれば、花見月見の一番の尖りどころである2枚で成立する部分は絶対に残したいところです。これが勝負がいつ終わってしまうか分からない緊張感を生むからです。桜に幕と芒に月の価値を引き上げて、5枚ある光札に重要度の勾配を生む効果も残したいところ。
私は知らなかったのですが、柳に小野道風を取っていると役が成立しなくなる雨流れという追加ルールは、柳に小野道風の特異性を伸ばし、世界観的にもマッチするので、なかなか良さそうな気がしています。

花札面白いですね。何もできずに大差で負ける試合が続くとぶん投げたくなりますが。

ところでアプリであるえとはなっ!に関してですが、もう少しキャラの描写方面の強化をしてくれないとなかなかガチャを回す気にならないな、とか、ショップの商品に魅力が無さすぎてまだ一銭もゲーム内通貨を使ってない、とか、ランクごとに変わる背景は上の方に行くほどトンチキな方向に行って欲しいな、とか、そんな感じです。

ここの前は砂漠でした。
なんでこんなところで花札してるの??

持ちキャラは鳥居橋さくのです。よろしくお願いします。

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