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怒首領蜂大往生と、ゲームというシステムの歯車になりたい話

怒首領蜂大往生 臨廻転生をプレイしています。めちゃくちゃ面白い。

目標はいわゆる白往生を1クレジットで一周クリアすることです。これが達成できれば、俺は怒首領蜂大往生をノーコンテニューでクリアできる男だぞと胸に自信を抱いて生きていける気がしています。最初は15クレジットぐらいでようやく一周していましたが、臨廻転生に搭載された、懇切丁寧に充実した練習モードのおかげで、4,5クレジットぐらいで突破できるようになってきました。

大往生特有のめちゃくちゃ速い弾、少ない弾消し、1面からずっと油断できない緊張感。最初は大往生がプレイヤーに対して放つ圧に対してなすすべなく押し潰されるしかないのですが、ひたすらプレイを繰り返し、少しずつパターンを構築して、アドリブ力を鍛えていくことで徐々に開かれていく弾の道。自分自身をプログラミングし、流れてくる濁流を捌く達人になっていくような感覚。脳が痺れるような楽しさを感じていますが、私がプレイしているのを眺めている息子は非常につまらなそうです。「またあのあーくそっていうゲームやるの?」とか言ってきます。楽しいです。

また、練習モードでエリア別、ステージ別でパターンを構築しても、通しで最初からプレイすると想像以上に味わいが違うのも面白いです。どうしてもパターンが崩れてしまうので、そこからどうリカバリーしてまたパターンに戻すか。機械として振る舞う自分と機械になりきれない人間の自分のせめぎ合い。結局、躊躇なくボムを放てる奴こそが先に進めるところ。生き残る覚悟がある者が強いんですよね。抱え落ちは悪。

怒首領蜂大往生をプレイしていると、改めて、私はシステムを滞りなく稼働させる歯車になりたいという欲求があるなあと実感します。環境に求められる形に変形して凹みに納まっていたいというか。私にとってはゲームプレイにおいて自分の意思とかはあまり重要でありません。自分だけの物語とかあんまり要らない。

これは何もゲームに限らず、現実世界でも私はそうしたいと思って行動することが多いのですが、現実というものはあまりにも複雑でままならないものなので、自分がいくら努力してもシステムは滞りなく進行しません。その点ゲームはそんな私の欲求を叶えてくれます。何かに導かれるように決まった動きを繰り返す自機。全くオープンでない、上方向にしか進まない世界が心地よいと感じます。

終わり。

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