ゲーム性という概念について

こんにちは。
ゲーム性という曖昧な概念について私はこう考えているよという文章を急に書きたくなったので書きます。

とその前にまず予防線を張りますね!ゲーム性警察の皆さんは読んでください!

予防線

以降の文章は体裁上断定調で書きますが、全て私の個人の考えであり、出典はありませんし、後からコロコロ変わる可能性があります。全ての文末に(と今の私は考えています)を付け足して読んでください。これを読んだ皆さんも僕の私のゲーム性について隣の人と話してください。

本編

さてまず書いておきたいのは「ゲーム性とゲームの面白さは必ずしもセットで現れるものではない」ということです。ゲームをプレイしている上で体験する楽しい瞬間は、ゲーム性とは関係ないところから現れたり、ゲーム性から生み出されたりします。可愛い女の子が踊っている映像をバックに音ゲーをする時、可愛い女の子を見て嬉しい気持ちはゲーム性とは関係ないですよね。

ゲーム性は高いリスクには高いリターン、低いリスクには低いリターン、つまりはリスクのバランスやジレンマである、という単純な話でももちろんありません。むしろゲームの一番楽しい瞬間はリスクとリターンのバランス・ジレンマをぶっ壊した瞬間にあります。

しかし一方で、確かにジレンマ(言い替えるとゲームバランス)を破壊した瞬間は楽しいのですが、その楽しさは長続きしません。ゲームプレイを楽しく豊かな体験にするためには、面白いと感じる瞬間を継続的に生み出す仕組みが必要です。この「面白いと感じる瞬間を継続的に生み出したり生み出さなかったりする特性」がゲーム性です。そしてゲーム性は、ゲームのルールが生み出すゲームメカニクスと呼ばれる構造の中に現れたり現れなかったりします。

もう少し具体的に表現します。

当たりとハズレのあるクジが並んでいて、プレイヤーに選択するための手がかりが無い、完全に運任せ状態の時、ゲーム性はありません。
しかしこのクジのルールに手を加えて、ある程度当たりの見当がつくようにしたり、うまくやることで当たりが大当たりや超当たりに変化したり、全部のクジが当たりに変化したり、逆にハズレが増えるような構造にすると、そこにゲーム性が現れます。
プレイヤーは選択して結果を見るまでの過程や結果そのものに、楽しさを感じたり、逆に怒りを感じたりします。ゲーム性は面白さだけを生み出す特性ではありません。また当たりを引いた時の嬉しさそのものはゲーム性とは関係がありません。

サンプルルール

更に具体的にゲームルールを考えてみましょう。完全にアドリブで考えたのでバランスは適当です。

あなたと対戦相手は、お互いに外れクジ27枚と当たりクジ3枚のデッキを持っていて、ターンごとに一枚ずつ同時に引いていき、一定ターン後に引けた当たりクジの数で競います。引いたクジは毎回自分のデッキに戻します。

外れクジを引いた場合、以下のどれかが行えます
1. 自分のデッキの外れクジ1枚を当たりクジに変える
2. 相手のデッキにハズレクジを2枚追加する

当たりクジを引いた場合、自分のデッキに当たりクジを戻した後、以下のどれかが行えます
1. 自分のデッキの当たりクジ1枚を超当たりクジに変える
2. 自分のデッキのハズレクジ3枚を当たりクジに変える
3. 相手のデッキの当たりクジ・超当たりクジの中からランダムで3枚をハズレクジに変える(ただし当たりクジは1枚は必ず残さなければならない)

超当たりクジを引いた場合、その時点でゲームに勝利します。

このようなゲームをプレイする場合、プレイヤーはハズレクジや当たりクジを引いた場合に、自分の勝利への道を整えるか(勝利が確定する超当たりクジは魅力的です)、相手の妨害をするかを選択し、その過程を楽しみます。また、ターン毎のくじ引きの瞬間は、ガチャを引いているような射幸感を味わえるでしょう。

これらのルール自体はゲームメカニクスと呼ばれる構造であり、ゲーム性ではありません。またこの構造はプレイヤーにターン毎の選択を要求し、その際にプレイヤーの間に駆け引きを生み出しますが、「駆け引き」自体もゲーム性ではありません。ゲームメカニクスが、ターン毎にクジを引くように設定したり、どんな行動が最も自分の勝利に近づけるか思考するように要求した結果、構造の中に「面白い(あるいはムカつく)と感じる瞬間を継続的に生み出す特性」が現れます。これがゲーム性です。

私の考えるゲーム性はこんな感じです。終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?