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サクラ大戦が楽しめなかった理由とかウマ娘のトレーナーは引退したウマ娘がやるべきとかそういう話

最近はサクラ大戦シリーズのオープニングとエンディング曲だけを集めたプレイリストを聴いています。

skがそれ

私は何かのリストやファイルの名前を付けるのが苦手なので、大体アルファベット1文字になります。sというプレイリストはsukinakyokuのことで、その後にサクラ大戦のプレイリストを作り、既にsがあるので困ってしまい、sakurataisenのskになりました。

Spotify

サクラ大戦はシリーズ通してオープニングとエンディング曲のレビュウ感と往年のアニソン感が噛み合ったところが好きで、何年かおきにふと思い出しては繰り返し聴いています。

初代の発売時は小学生で、兄のセガサターンで自分なりにやってみるもアドベンチャーパートの楽しさがイマイチよく分からず、何だか悪いゲームをしているような気分も相まって、毎回3話4話ぐらいでやめるを繰り返していた記憶があります。

大人になって、曲はこれだけ聴いてるんだから本編もちゃんとやらなくちゃなと思い、PSP版のサクラ大戦1&2をプレイしてみたところ、1をなんとかクリアして、これなら別に2はやらなくていいかな……となってしまったのでした。

プレイした後に残ったのは、なんでこんなに楽しそうな雰囲気を纏っているゲームを私は楽しめないのかという悲しみ。なんなんでしょうねこの感じは。投稿の中で言及しているギャルゲーっぽさとはなんなんでしょう。

考えてみるに、この時表現したかったのは、なんかエンタメっぽい雰囲気が結局はヒロインとの色恋に帰結する残念感というか、主人公の大神(プレイヤー)に都合の良いもので全てが構成されている感じが合わなかったということかなと思います。ただそこまで考えてじゃあ3以降のペルソナとは何が違うんだともう1人の自分が問いかけてきます。結局キャラに好感が持てるかどうかなのか?キャラ造形が古いから楽しめなかったのか?(シャワーシーンのあれこれも嫌なんですが、これは時代性を考慮して不問とします)

更に考えてみるに、特に昨今可愛い女の子がたくさん出てくる作品を楽しむ上で私が引っ掛かりを覚えるのは、主人公(私)が女の子たちの集団の中で特権的な上の立場にいることです。スマホのゲームではそのメカニズムの都合上、プレイヤーが指揮官的な立場に位置付けられることが多くありますが、(大神くんは自分も最前線に立つものの)サクラ大戦もそれと似た構図があります。

そうでした。アイドルマスターでプロデューサー扱いされるのもウマ娘でトレーナー扱いされるのもブルアカで先生扱いされるのも、本当は私は嫌なんです。大体ウマ娘のトレーナーは引退したウマ娘がやる方が適切だと思いませんか???
ゲームから対等に扱われたいのに、パワーバランスに勾配のある状態で好意を向けられても居心地の悪さばかりがあるのです。

自分の中での数年越しのモヤモヤがスッキリしたので満足です。大晦日でした。良いお年を。

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