ファミ通という、窓だったもの。
ここ数年、気まぐれにファミ通を買う度に毎回、うっすー、と思います。毎回頭の中にあるファミ通より薄い。誌面で編集者が前に出てくるところはほとんどなく、誌面のデザインや文章も落ち着いたオシャレ寄りで、全体的に大人(中年)向けな印象を受けます。
砂少年は高校まで沖縄の離島で生まれ育ちました。離島とは言っても人口数万人の島なので、おそらくこれを読んでいる人が想像している風景よりは都会です。
想像している風景よりは都会ですが、沖縄本島まで飛行機で一時間程度という地理の都合上、ある時期まではNHK以外の民放局は島のローカルなものが二つだけで、実際の放送から一ヶ月以上遅れた番組が放送されることもザラでした。笑っていいともは夕方に録画が放送されていて、ある程度大きくなるまで、お昼休みはウキウキウォッチングの意味が分かりませんでした。
ジャンプは二日遅れの水曜日、ファミ通は五日遅れの金曜日に店頭に並びます。週刊の雑誌の発売が五日遅れるというのは結構致命的な気もしますが、配送の都合が色々あったのだと思います。
六つ年の離れた兄が買っていたファミ通を、私は毎週貪るように読んでいました。多分誌面に載ってる全部の文字を読んでたと思います。当時のファミ通は編集者がバンバン顔出しで前に出ていて、身体を張った企画がたくさんありました。そしてゲームから少し離れたコラムや適度なサブカル臭のある読者投稿コーナー。私にとってファミ通はいつも面白い話をしてくれる事情通のお兄ちゃんみたいな存在でした。インターネットも普及していない時代、私にとってファミ通は、東京では何か毎日楽しいことが起きているらしい、そんな漠然とした憧れの混じった視線でゲームに留まらないカルチャーを覗かせてくれる窓だったのです。
新着ゲームの情報は賞味期限の短い消え物でもありますが、今になって思い出されるのは、ゲーム内容の紹介記事ではなく、町内会やゲーム帝国、読者からの投稿ネタや載っていた漫画、コラム、編集者のバカ企画。ゲームの周辺のものばかりです。砂少年が多感な時期にファミ通という窓を通して受け取ったカルチャーは私の中に今も残っています。
紙自体が薄くなってページ数も減り、軽薄でなくなった今のファミ通を読みながら考えていました。
終わり。