イスラームの歴史


イスラームの誕生。イスラム教は、唯一神アッラー(「神」の意)への絶対的な服従を求める。厳格な一神教で、多神教、偶像崇拝を禁止する。同じ一神教のユダヤ教・キリスト教は「啓典の民」とみなし、その信仰を否定しない。最後にして最大の預言者はムハンマドであり、彼が受けた神の啓示をアラビア語で記述した「コーラン」を教典とする。神のみ前では信者は平等であると教え、イスラーム教徒のことをムスリムと呼び合う。


イスラームの成立。7世紀前半、ササン朝とビザンツ帝国の抗争により、従来の交易路が衰退し、迂回路のアラビア半島西部が発展した。そのため、メッカやメディナなどの都市が発展したが、貧富の差が拡大し社会秩序は乱れていた。


そこにムハンマドが誕生する。彼はメッカのクライシュ族の商人で、己をアッラーの啓示を受けた預言者であると自覚し、メッカで伝道活動を開始する。しかし、平等を唱えるムハンマドの説教はメッカの大商人たちから迫害を受け、ムハンマドは活動拠点をメッカからメディナへと移す。これをイスラム教ではヒジュラ(聖遷)という。この年、622年がイスラム暦の元年となる。


ムハンマドはメディナでイスラームの共同体(ウンマ)を形成し、実力を蓄えた。その後、メッカを占領し、異教徒の神殿であったカーバ神殿をイスラム教の聖殿とした。現代でもイスラム教徒は、このカーバ神殿に向かって1日5回の祈りを捧げる。ムハンマドは征服によりイスラム教を拡大して行き、やがてアラビア半島を統一したところで死去する。


正統カリフ時代。ムハンマドの死後は、ムハンマドの後継者(カリフ)の称号を持つ者が支配した。アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの4代までは、ムスリムらの選挙によって選ばれたので正統カリフと言われる。カリフはイスラームによる聖戦(ジハード)を唱えて征服活動を神聖化し、ニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシャを滅亡させる。


ウマイヤ朝。アリーの死後、ムアーウィアがウマイヤ朝を建国し、ダマスカスを首都とし、カリフを名乗った。以後、カリフは世襲制となる。しかし、イスラム教は、ムハンマドとアリーの血統を重視する「シーア派」と、選挙方式を認める「スンナ派」とに分裂することになった。その後ウマイヤ朝は、ヨーロッパに侵入し、イベリア半島の西ゴート王国を滅ぼした。しかし、トゥール・ポワティエ間の戦いで、フランク王国に敗北し、ヨーロッパ北進は食い止められた。


ウマイヤ朝の税制は不平等なもので、アラブ人のイスラム教徒は無税とし、非アラブ人(征服地)のイスラム教徒には、ジズヤ(人頭税)とハラージュ(土地税)を義務付けしていた。しかし、征服地の異教徒にもジズヤとハラージュを義務化していたため、非アラブのイスラム教徒からの不満が高まっていた。


アッバース朝。8世紀、アブー・アルアッバースによる建国。彼は信徒の平等を確立し、アラブ人の税制特権を廃止した。すなわち、アラブ・非アラブ問わず、イスラム教徒にはハラージュのみを要求し、異教徒(ユダヤ教やキリスト教)にはジズヤとハラージュを要求することにした。また、彼はイスラム法(シャーリア)に従って政治を行った。タラス河畔の戦いでは唐と戦い勝利し、製紙法を手に入れた。この製紙法は後にイスラム世界を経て、ヨーロッパへと伝わった。


二代目マンスールは、首都バグダードに円形都市を建設した。五代目ハールーン・アッラシードの時にアッバース朝は最盛期を迎える。しかし、ウマイヤ朝の一族が、イベリア半島のコルトバに後ウマイヤ朝を建国した。


イスラームの分裂。10世紀、エジプトにはカイロを首都とするファーティマ朝が、イランにはブワイフ朝がバグダードを占領して建国される。ファーティマ朝とブワイフ朝はシーア派で、スンナ派に属するアッバース朝は東西から圧迫を受けることになった。また、アッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝は、それぞれがカリフを自称したため、3カリフが並立していた。さらに、中央アジア初のサーマーン朝、次いでトルコ人初のカラハン朝も建国され、アッバース朝で統一されていたイスラム世界は分裂した。


セルジューク朝。11世紀、トルコ系のトゥグリル・ベクはバグダードを攻略し、アッバース朝のカリフをブワイフ朝の支配から解放することで、アッバース朝のカリフからスルタン(支配者)の称号を得る。こうしてセルジューク朝は、カリフ(宗教指導者)をアッバース朝が、スルタン(政治支配者)をセルジューク朝が担う形となった。


セルジューク朝は、ニザーミーヤ学院を代表とする学院(マドラサ)を盛んに建設した。またビザンツ帝国を圧迫したが、これが十字軍の原因となった。


この頃、イベリア半島、北アフリカにはベルベル人によるムラービート朝が建国された。首都はマラケシュ。アフリカのガーナ王国を攻撃したことで、アフリカ内陸にもイスラームが広がっていった。またこの時代、ファーティマ朝とカラハン朝は存続しつづけたが、トルコ人王朝としてガズナ朝が建国され、北インドにもイスラームは広がった。


アイユーブ朝。12世紀、セルジューク朝は急速に弱体化していった。この頃、サラディンはファーティマ朝を滅ぼし、エジプトのカイロにアイユーブ朝を建国した。彼は聖地エルサレムの奪回のために第三回十字軍で英王リチャード1世と戦った。


ムラービート朝はムワッヒド朝に取って変わった。イランにはホラズム朝が建国されたが、チンギスハンに攻められ滅亡した。また、アフガニスタンにはゴール朝が建国された。


イル・ハン国。13世紀、モンゴル人フラグは、バグダードを占領し、カリフとして存続しつづけていたアッバース朝を滅ぼし、イル・ハン国を建国した。ガザン・ハンの時に最盛期を迎え、イスラームを国教とし、宰相ラシード・ウッディーンが「集史」を著す。


イベリア半島では、グラナダを首都にナスル朝が建国された。アルハンブラ宮殿を建設したが、15世紀、スペインによるレコンキスタ(国土回復運動)により滅亡した。


マムルーク朝(首都カイロ)と奴隷王朝(首都デリー)はトルコ人奴隷の兵士による王朝として建国された。


ティムール朝。チャガタイ・ハン国の内政が分裂した混乱の中で、ティムールはイル・ハン国と併合して西アジアの大半を支配、ティムール朝を建国した(首都サマルカンド)。小アジアに進出し、アンカラの戦いでオスマン帝国を破るも、明遠征の途上で病死した。第4代ウルグ・ペグの死後分裂し、トルコ系ウズベク人により滅亡した。ティムール朝は、イラン・イスラム文化を中央アジアに広める役割を果たした。


サファヴィー朝。16世紀初頭、神秘主義教団(サファヴィー教団)の長であったイスマイール1世は、イランの首都タブリーズにサファヴィー朝を建国した。自らをシャー(国王)と称し、シーア派を国教とした。アッバース1世の時、新首都としてイスファハーンを建設した。サファヴィー朝滅亡後のイランは、アフシャール朝、ゼンド朝、カージャール朝を経る。


オスマン帝国。14世紀、オスマン1世は小アジアにオスマン朝を建国した。ムラト1世はバルカン半島に進出し、アドリアノープルを首都とした。キリスト教徒の子弟をイスラームに改宗させてスルタンの親衛隊とした、イェニチェリという軍隊を持っていた。


バヤジット1世は、ニコポリスの戦いでハンガリーを破り、バルカン半島を統一。15世紀にはアンカラの戦いでティムール朝に完敗し、一時衰退する。しかし、メフメト2世が難攻不落のコンスタンティノープルを船隊の山越えという奇抜な戦略で攻略し、ビザンツ帝国を滅亡させる。そして、コンスタンティノープルをイスタンブルと改称し、遷都した。


16世紀、セリム1世はサファヴィー朝を破り、シリアに進出。マムルーク朝も征服し、メッカ・メディナ(イスラム教の聖地)を掌握する。スレイマン1世の時に最盛期を迎え、ハンガリーを征服。隣国オーストリアに対してウィーン包囲を行うが失敗。プレヴェザの海戦でスペインとヴェネツィアを撃破し、地中海の制海権も掌握した。


また、オーストリア(神聖ローマ帝国)に対抗するために、フランスと通商条約(カピチュレーション)を結んだが、これはフランス側に治外法権を認めるもので、後の植民地化における不平等条約の型となり、オスマン帝国衰退の素因となった。


その後、17世紀、セリム2世は、レパントの海戦で敗れ、第二次ウィーン包囲にも失敗し、(1)カルロヴィッツ条約でオーストリアにハンガリーやトランシルヴァニアなどを割譲した。18世紀には、(2)クリミア半島をロシアに割譲、(3)アラビア半島ではワッハーブ王国が独立、(4)エジプトでもムハンマド・アリー朝が独立。(5)フランスがエジプトに建設させたスエズ運河をイギリスが買収し、(6)エジプトを軍事占領、(7)ロシアがイランのカージャール朝とトルコマンチャーイ条約(不平等条約)を結ぶなど、オスマン帝国の領土の大半は削られ、衰退していった。


オスマン帝国の改革。19世紀、アブデュル・メジト1世はタンジマート(恩恵改革)を実施。司法、行政、財政、軍事を西欧化し、近代化させた。しかし、ヨーロッパの工業製品の流入により、手工業者は失業し、外国資本に支配されるようなった。


宰相ミドハトは、アジア初の憲法であるミドハト憲法を発布する。しかし、ロシア・トルコ戦争が起き、すぐに憲法を停止する。結局敗戦し、青年トルコ革命により憲法が復活した。


第一次世界大戦でオスマン帝国はドイツ側についたが敗戦国となり、セーヴル条約で領土は大幅に縮小する。ムスタファ・ケマルはトルコ革命を起こし、スルタン制を廃止し、オスマン帝国は滅亡する。そしてローザンヌ条約でセーヴル条約を破棄し、領土を大幅に回復させ、トルコ共和国を樹立。初代大統領を務めた。その後、カリフ制やアラビア文字も廃止する。

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