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角打ち物語③ 「十四代」と「飛露喜」

前回までのnoteでは、角打ち業態をオープンした僕が、”焼酎ブーム”→”日本酒軸”への変遷をご紹介したが、今回は”日本酒軸”に掌返しした僕らが出会った元祖プレミアム日本酒「十四代」と「飛露喜」について触れようと思う。

当時のブログから読み解く「十四代」と「飛露喜」

その当時の僕のブログを見てほしい。割と生々しい記述で「十四代」と「飛露喜」を表現している。
味わいなどの表現は、この時期にどうやら身につけたものらしい。現在も使いまわしている表現が結構出てきて、自分でもびっくりするw

当時、十四代はもうプレミアム化が始まってて、毎月毎月どんどん手に入りにくくなってきてた。目にも止まらぬ速さで日本酒市場のトップランカーに躍り出ていた。
それに対し、飛露喜はまだ手に入る方だったと記憶している。しかし、飛露喜も十四代に続く勢いで、日本酒市場のトレンドを塗り替えて行った。
この2つの日本酒に共通して「今までにない」特徴が3つある。
1 純米吟醸などの特定名称酒であり、フルーティーでジューシー
2 高単価である(3000円台を超える日本酒はその当時あまりなかった)
3 「新しい体制」で日本酒を製造する

1、2は上記の通り。で3の「新しい体制」とは一体何だったのか?

「杜氏」システムから脱却した十四代

十四代を醸す高木酒造の高城氏は東京農大の醸造科を出身で、蔵元自らが酒造りが可能なくらい知識を持ち合わせていた。
その当時の日本酒蔵のほとんどは、「杜氏」と言われる日本酒製造を担うスペシャリストの集団を日本中から蔵に招聘し、造りは杜氏、販売は蔵元が行う分業制だった。
つまり、蔵元(創業家、蔵の経営者側)は酒の製造に手を出していなかったのである。酒は杜氏に任せっきり。どんな酒ができるかは杜氏次第。
杜氏は自分の出身地で伝統的に造られていた味わいを造る。だからなんとなくの地域差はあるものの、蔵によっての味の違い、差別化はあまりなされていなかった。

その「杜氏」システムを変化させ、蔵元自らが造りに参加する。

それが、高木氏が示した新しい日本酒の世界の始まりであった。
その時僕はこう思った。
旧体制に革命を起こそうとしているイノベーターだと。
それがものすごくかっこよく見えた。職人の頭脳と経験と勘に頼らず、目指すべき酒質を 自らが設計し科学的なアプローチで酒を作っていく。高木氏は、あまりに酒造りにのめり込むあまり物理的に死にかけたのは業界でも有名な話だ。ロジカルとパッション、イノベーションとトラディショナル、古きものと新しきもの。正反対と思われるコンセプトをバランスを取りながら内包している。何か新しい時代のマクアケを感じさせてくれる。

十四代のお酒からはそんな心意気が生き生きと感じられた。
十四代の歴史に関しては、コチラの記事がわかりやすいのでご参照を。

「杜氏」システムを捨てざるを得なかった飛露喜

一躍時代の寵児として日本酒市場に躍り出た十四代。それに対し、飛露喜は少し状況が異なった。
1996年に飛露喜を醸す「廣木酒造」さんの杜氏が引退される。その翌年先代である実父と造りを始めるが1年後にその実父も逝去と不幸に見舞われる中、サラリーマンだった現杜氏兼蔵元の廣木健司さんは心の準備もないまま蔵を継いだのだった。
飛露喜の歴史についてはコチラの記事がわかりやすいので参照を。

飛露喜は、当時まだ珍しかった「無濾過生原酒」をマーケットにもたらした、という意味でかなり偉大な蔵だった。もちろん、十四代がそうであるように、フルーティーかつジューシーな甘みを持ち、グラスをひとたび振るとその香りは周囲に瞬く間に広がる。そんな特徴を持ち合わせていたが、更に飛露喜の評価を上げたのが「無濾過生原酒」という、加熱処理をせず蔵でしか体験できないしぼりたてを味わえる酒をリリースしたことにあると思う。

「辛口にして甘露」

コレを体現した初めての酒だとも言える。

この2蔵に共通して言えることは、結果としてではあるが「杜氏」システムを捨て、マーケットに求められる味とは一体何だ?と死ぬほど考え、酒屋さんや日本酒の研究をされている先生などの協力を得て、必然的にお酒を世に生み出したことだ。

データ的にも、杜氏に頼らず蔵の人間だけで酒を造る蔵元がかなり増えてきてることがわかる。

00_pdf(7___7ページ)

国税庁:「酒のしおり」より参照

そして、再びプレミアム化して買えなくなる

2000年代半ばより加速度的に広まったフルーティーなお酒のブーム。その代表銘柄だった「十四代」と「飛露喜」が全く買えなくなるのに時間を殆ど要さなかった。
それくらい一気にマーケットの頂点にのし上がったのだが、ある時僕らの角打ち業態で象徴的な事件が起きたのだ。

お客さん:十四代ある?
サンチェス:今日は無いんです。。。
お客さん:え?無いの??ダメじゃん、じゃ、帰る。
サンチェス:え?他にもめちゃおいしい酒ありますよ。
お客さん:いやいや、十四代が飲みたいんだよ。他のじゃダメだ。帰る。

十四代無いと帰る事件w

この辺を機に、十四代と飛露喜はどんどん手に入らなくなってしまった。
「あれ?焼酎ブームのときと同じじゃね?」
と僕は思った。
焼酎ブームで有名銘柄を飲んでた人達は、焼酎が好きで飲みたいわけではなくて
「有名ブランドを飲むという体験」
がしたかったんだと気づいて、日本酒に切り替えた時はもっと本質的に「日本酒」を楽しんで欲しかった。しかし、歴史は繰り返す(たった2年の間にw)もので、日本酒でも同じことが起きた。

焼酎に無くて日本酒にあったモノ


しかし、確実に感じていたことは有名銘柄じゃない日本酒のファンが確実に増えていた事。
焼酎にはなくて、日本酒にあったこと。それは、、、

「地域性」

焼酎の殆どは九州、芋焼酎に限って言えば殆どが鹿児島県と宮崎県。まるで外国のお酒を飲むかのようなイメージだった。しかし日本酒は日本全国で造っている。そして、十四代、飛露喜に続けと若手の蔵元の台頭もあって、日本酒業界は大きく変貌を遂げようとしていた真っ只中だった。

・自分の生まれ故郷の酒
・自分が行ったことのある県の酒
・地域の料理と合わせる魅力
・醸造酒として変化に富んだ味わい


お客さんも、そういった楽しみを僕らが発信すると「飲む理由」ができて楽しめる要素がどんどん増えることがわかった。

私の師匠の教えで「スペックではなくストーリーと体験で売れ!」

により踏み込んでお客さんにプレゼンをした結果、僕らの角打ち業態はいつしか「日本酒の角打ち」として認知されるようになった。

そして十四代への懐疑心が生まれる

買えない。そして無いとお客さんが帰る。そんな体験を通して、僕はいつしか十四代をあまりポジティブに捉えられなくなってしまった。
そして、上記の通り日本酒にどんどんハマっていき、自分の経験値も増え様々な味わいを理解できるようになった時、十四代を代表とするフルーティーな味わいに、かなり懐疑心が生まれたのもこの時期だ。
その期間わずか1年半足らず。
このブログを見てもらいたい。はっきりと自分でも書いている。。。

この頃に、今の僕の日本酒に対する価値観が形成されたと思うw
なぜなら、今と大して変わらないことを言っているからだww

酒は美しくてうまい。日本酒業界を間違いなく牽引した偉大な酒(十四代、飛露喜)であることはわかってる。
けど、冷静に考えたらフルーティー過ぎて「#コレジャナイ」感をバリバリ感じていたのだった。

メニューがない店への布石

かくして、僕はこのフルーティーな酒にたいして少し偏見に近いw感覚を持ったわけだが、特定のお酒が無いと帰られる、というしょっぱい体験を通し、その頃僕は一つの結論に達した。

メニューがあるからダメなんだ

危険。あまりにも危険。当時のお店の仲間達にも全力で否定された。飲むべきもののリストがないとお客さんが選べないよ、と。
角打ちという業態だったし、日本酒を超絶ウリにしてたからメニューを無くすという行動は残念ながら実行できなかった。
この時の強い思いが後に29ONという業態の「おまかせペアリング」という発想につながるとは、その当時は知る由もなかった。。

今振り返ってみてここで僕は今につながる、角打ちとして、また「おまかせペアリング」を実現する為の重要な要素を体験していたんだと思う。


・お客さんの好みを聞き出す
・お客さんの好みを覚える
・お客さんの「食体験」というモノサシをへし折る為に信頼関係を構築する
・「すべて委ねる」という心地よさを体現する
・ストーリーをつくって語る
・自信満々に提供する
・次に繋がるタネを蒔く

というわけで、狂乱の「焼酎ブーム」と十四代、飛露喜がもたらしたフルーティー日本酒トレンドに完全に踊らされた、僕の与太話でしたw


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