田打            274-1/21

     肥料蒔き君は田打の準備する

 描写である。話を聞いただけなので、描写とも言い難い。農事メモ的な感じである。春も更けてきた。できるだけ春の季語をたくさん使いたいと思う。

 さて、難色や異存を発することを回避する取組みは続けている。ことばは難色や異存を表すためにあるような気がする。自分の発することばのほとんどが難色や異存だと認められる。ほぼことばを発した時点でアウトだ。少なくとも私の場合はそうだ。そんなことを思っていたら、このような文章に出くわした。

われ汝の行為(おこなひ)を知る。汝は冷(ひやゝ)かにもあらず、熱きにもあらず、我はむしろ汝が冷かならんか、熱からんかを願う。かく熱きにもあらず、冷かにもあらず、たゞ微温(ぬる)きが故に、我なんぢを我が口より吐き出(いだ)さん

 これは、新約聖書ヨハネの黙示録の中にある。熱いか冷たいかのどちらかを願う、温いからあなたを私の口から吐き出そうとしている。と、このような意味である。この「我が口より吐き出さん」というのはことばのことだと、読んだ瞬間に思った。どういうことかというと、ことばとは中途半端なものだということである。どうでもいいものが口をついて出るというふうにとらえた。

 正解を知りたくて探してみると、どうやら「不徹底、曖昧は信仰の敵である。」ということらしいのである。なんか違った。

 私は、自分の解釈の方が気に入った。どうしてわざわざ口から吐き出すと言ったのか。口から吐くものといえば食べ物とか息とかことばだと思う。それとも口から吐くという慣用句が別の意味となるということでもあるのだろか。ここだけ読んだ素人の私としては、「ことば」がぴったりくる。





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