「主権」に関するノート
歴史の勉強が嫌いだった。年号を暗記するのとか意味わかんない、などと言っている学生時代で、当然歴史のテストは悪かった。けれど、大学行って法律を勉強したりいろいろしてるうちに、西洋史や日本史が面白く思えるようになってきた。結局、人間の社会のルールの考え方なんて歴史的産物だから、どこかで過去の歴史と繋がってるので。
日本史もだいぶん忘れたけど、元々、集落の中で豊穣を祈るシャーマン的な王がいた。そして、弥生の戦乱を経てムラがクニになり、諸王の中の勝者である大王ができ、それが大和朝廷を開いて天皇家になり、天皇が何事も決めていた時代の後、貴族が「摂政」「関白」などとして実権を握る時代が来て、天皇の父親が「院」として実権を握り、院の警備に当たっていた武士がやがて「征夷大将軍」として政治を行うことを認められる。途中で「建武の新政」とか称して天皇が実権を握った期間が少しだけあり、そのあとはまた武士が「征夷大将軍」として国の政治を握り続ける。そして明治になり、「立憲君主制」として、形の上では全ての機関が天皇を補佐しつつ、議会制を取り入れるなどしながら歴史は進み、太平洋戦争を経て、大日本帝国は国としては敗戦により終わる。そんな具合に、実際の権力を巡って戦乱は絶えないのだけど、そんな時代を通じて、不思議なほどに「天皇を手中にしたほうが正当」というコンセンサスだけは維持されていたのですな。そして、天皇自身が島流しなどの「責任」を問われることは、僅かな例外を除いてはない。つまり、「天皇が全てを正当化する」ことを建前として、そして建前でしかないことをみんな理解しつつ進んできたという不思議な国なのですな。これをいわば「正当化根拠としての天皇主権」と呼ぶことができるのではないか、と正月頭でぼーっと考えているのですよ。
そんな建前が、太平洋戦争の敗戦、ポツダム宣言の受託により歴史上初めて覆される。日本国憲法は大日本帝国憲法の改正という形を取りつつも、天皇が政治的な権能を有しないとして、この「天皇が政治権力を正当化する」建前を否定した訳です。いわば、シャーマン時代の豊穣を祈る「祈る人」に純化されて、国の儀礼的な行為に関わる以外は政治的な行為をしないことになった。
その代わりに国の主人公になったのは「国民」、それも老幼男女問わない「全国民」だ。「全ての個人」と言っても良いと思う。これ、実は当たり前のことであり、そもそも自然状態では人は弥生のムラ同士がそうであったように生命や財産を巡って争い合う。そんな状態から、自分たちの生命身体財産を守るために「合法的な暴力を持った権力」は必要悪な訳で、だからこそ人々は集まって国を作る。これは、例えば一時期の中南米の麻薬カルテルなどが暗躍して国の体裁を成してない国を見れば、治安の維持がどれほど大事なことかはよくわかる。
しかし一旦権力を持つようになった国家はそれをいつ濫用して国民の権利や自由を侵害するかも分からない。だからこそ国民は国家の権力の発動の仕方に法的な規制をかけて濫用しないようにするので、その手段が権力分立であったり民主主義的制度であったり要するに「法の支配」ということであります。
そう考えると、国家は国民のためのものでなくてはならない(国民の、国民による、国民のための政治)は、当たり前のこととも言える訳で。しかし、その当たり前を獲得するために日本は太平洋戦争で200万人以上の人々が死ななきゃならなかったという訳なのです。逆に言えば、天皇主権の下では、権力は天皇の名前を利用できる国民の中の一部の人々のものでしかなかった訳で。それは藤原氏であったり、足利将軍家であったり徳川氏であったり、あるいは財閥の人たちだったりしてきたんだけども、結局、国を構成するのは全ての人たちなので、そういう、足利氏でも財閥でもない人たちが、国家の「手段」とされてはならない。それら全ての人たちの福利が満たされるように、国の政治は実現されなきゃならん訳ですよ。
多分敗戦で国民は知ったのですわ。二百万人が南の島や中国に送られて、不本意に殺し殺されて生命を失った、いわば帝国主義的な国家目的の実現の「手段」とされたのは、結局のところ、この「天皇が全てを正当化する」建前の下、天皇の名前を利用した財閥や軍部が、他の名もない国民たちを使って戦争ゲームをやったのだと。しかも、天皇主権の下では、天皇自身は建て前に過ぎないから責任は取らない。かと言って、影で国の実権を握っていた軍部や財閥も責任は取らんので。やっぱり、国の政治は実際に責任を取る人が表に出て、国民に対して責任を取る形で実行されないといけない。
というわけで、天皇は政治の世界から去り、全ての国民のために国家はあるという国民主権にしたがって、新しい日本国ができた。国民全ての福利が満たされるように国のあり方を決めるには、なるべく民主主義的な制度を導入してゆかなければならない(有権者と全国民は一致しないのでこれはある意味擬制であるのですけど)。だから普通選挙の下、国会議員を選び、国会の議決で総理大臣を指名し、その総理大臣が国会に対して責任を負えるように内閣を作り、さらに内閣が裁判官も指名したり任命するという形で、国のあり方がなるべく民意を反映できるようにしてる訳でありますわ。
こーゆー小学校の教科書的なことをなぜ長々と書いてきたのか、というと、ひとえに自分の心覚えのメモなんでありますけれど、一つには「国民主権って素晴らしい」という再確認のためであります。いや、与党の議員の中には「明治憲法は素晴らしい、国民主権はガンだ」などと平気で言い放つ人がいると聞いて。
国はそもそも、全国民のためにあるのだから、全国民が国のあり方を最終的に決める力又は権威を持つのは当たり前のことなのですよ。おしまい。
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