北琵琶湖散策放浪

ずいぶん歩いて永原まで来たのだけれど、もう少し歩いてみようと思い立った。このまま半島沿いに道を歩いてゆくと、「菅浦」に着く。「菅浦」(すがのうら、すがうら)とは、中世の自治制度である「惣村」が古文書で追うことができ、なおかつ今もなおその雰囲気をとどめる場所として、日本中世史好きにはおなじみらしい。ただ、車があれば良いけど、バスは予約制が数本しか無い。だから暫し逡巡した後、やっぱり行ってみることにした。

永原駅のある集落は大浦といい、荘園のあったところである。大浦を過ぎてさらに行くとどん詰まりが菅浦である。

半島を巻いてぐるりと歩いてゆくとやがて入江に沿って菅浦の街並みが見えて来る。こじんまりした村だけど歴史は古く、献上するための海産物などを採っていた贄人(にえびと)たちが定住したのが起こりだという。今でこそ道路が通じているが、昭和になる前は、船で行くか険しい山の中を越えてゆくしかなかったいわゆる陸の孤島である。村落の周囲には門があり、よそ者をチェックしていたという。村のことは「乙名」(おとな)と呼ばれる二十人衆の合議で決められていたということである。

隣の大浦とは、少ない農地を巡って激しい争いを繰り広げていたとか。
なんだかずいぶんと歩いた気がするが、歩いて歩いて、ようやく菅浦に着いたのは午後3時。
さて、どうやって帰ろうか。永原行きのバスはあるけど、山の中を通って近江塩津の駅に行くルートがあるらしい。「菅浦 山道 近江塩津」でスマホを検索していると、観光協会が作った地図を見つけた。湖岸の舗装道路ができる前の人々の苦労を肌で知ることができて面白そうだ、というので、歩いてみることにしたのが間違いの始まりでありました(笑)

まず、須賀神社の参道の途中から脇道に入って山登りをすることになるのだが、この道がしょっぱなから荒れていて原型を留めていない。ロープや木の根っこにつかまりながら滑りやすい急斜面をようやく登る箇所もある。後悔しつつパークウェイに出てルートを追ってゆく。道は舗装こそされていないがちゃんとした道っぽくはなってきた。多分山で作業する人たちの道である。

しかし、台風や大雨で倒木なども多く歩きやすいとは言えない。しかも基本的には尾根道なので、山があると山頂を目指してから登頂し、それから下ってゆく、という道である(ということに歩き出してから気づいた)。標高400メートルほどの小山のピークを二つほど越さないといけないのである。
もう一つはここまで自動販売機も何もなかったので、水分がペットボトルに半分お茶が残っているだけであった。また、倒木が半端ない。
そして最後の問題は、歩き出してから遭遇することになる。

熊!
たしかに滋賀県の高島市の山は、普通に熊が目撃されるところだ。しかし自分がその立場になるなんて思っても見なかった。僕はただ、自然を楽しみながら近江塩津に出たいだけなのだが。僕は思わずペットボトルを見た。そして棒切れを拾うと、法華宗の信者みたいに叩き始めた。叩き出すと、いろんなリズムが出てくる。ビートルズとか、ゲームのスーパーマリオとか。はたまたヒゲダンスのテーマなんかも。

いくら荒れていても、一度は整備されている道なので地図と照らし合わせてゆけば全く見失うことはないが、大木を避けたり潜ったり、結構きつい。その間もペットボトルを叩く手を休めるわけには行かない。こちらの存在を常に知らせなくてはいけないのだ。

とある時左横の林からガサガサと音がした。そちらを恐る恐るみると、黒いかなり大きなモノが木の影にぴったりといる。熊?僕は、ヒゲダンスのテーマのリズムで、ひときわ力を込めて叩いた。するとそいつは、キューと人間の悲鳴のような声と、とても大きく荒い呼吸音をさせて山の林の急斜面を物凄いスピードで走り去った。
僕は全身の力が抜けた。それでも暮れるまでには山を抜けないといけない。そのあともピークを越え、ペットボトルを叩きながら、どうにか日が暮れるまでには山を降りることができた。

面白かったか、と言われると複雑だけど、昔の人はこんな山の中を抜けるしかなかったわけで、改めて苦労が忍ばれる。それが実感できた。しかしもう一度やりたいかと言われると、否と答えたい。そしてあの道の荒れようと、熊の危険を考えると、他人にも勧めない。人知れず迷って熊の餌食になって死ぬのも御免である。

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