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地質学考4 地質学は視覚言語を多用する

 前回,地質学の調査データには,視覚的な質的情報が多いということを書きました.この部分をもう少し掘り下げてみましょう.
 18世紀から19世紀にかけての地質学史を研究したルドウィック( M. J. S. Rudwick, 1932- )によれば,地質学は視覚的なもの,例えば地図,断面図,カラースライド,いろいろなグラフ,などを多用することが特徴だとしています.*5 こうした視覚的なものを用いて意味を伝えることを視覚言語( visual language )と呼びます.
 日本人が使っている漢字も,もともとは中国で発明された象形文字でしたから,実物を単純化した意味を視覚的な記号として表現したものです.そういえば,漢字が読める人たちの間では,「笑」という漢字は明るいイメージですし,「悲」という感じは暗いイメージを感じさせます.象形文字以外でも,手旗信号,手話,合図や,オリンピックで競技を示すのに使われたピクトグラムなども,視覚で情報伝達をしています.
 地質学者の場合,自然の露頭,岩石標本や,それをプレパラートにして顕微鏡や電子顕微鏡などで見たものなど,観察して得られた視覚情報を,画像やスケッチの形で記録し,そこから色々な情報を読み出す訓練を受けています.また,地質学者間では,それらの画像やスケッチ,それを図化したり,グラフ化したりしたもの,を見せ合うことで情報伝達をしています.地質学の書籍や,ジオパークのパンフレットなどにも,そうした視覚情報が満載されていますが,地質を読み取るリテラシーのトレーニングをした人でないと見えていないものも多く含まれていると思われます.
 例えば,次の図は地学の大学入試問題集で扱われていたものです.問題文から,切通しなどの露頭で,地層断面が見える垂直な崖の模様だということは分かります.

大学入試問題集の図

 予備知識なしで,この視覚言語を読み取ることができるでしょうか?
 まず,問題文には書いてありませんが,図の上方向が垂直上むき,図の下方向が垂直下むきです.次に,下半分と上半分の平行線は,崖にあらわれた地層面が崖の面に切られてみえる線を表しています.連続して堆積した地層の面は,崖の断面では,このようにほぼ平行な線として見えます.地層の面は水底にたまったときに,ほぼ水平になります.地層面を境にして,上の面と下の面は水底に運ばれてくる物質の性質(たとえば粒の大きさ)が違い,見た目が違うので境界面がはっきりしますが,この図では,地層の違いは省略されています.下の地層面は傾斜しており,上の地層面は水平です.下の傾斜している地層も,水底にあったときは水平だったはずですから,地層ができた後で,地殻変動で傾いたことになります.そして下の地層と上の地層の間には,両者を境する不規則な面があり,この面で下の地層は断ち切られています.そこで,この図は下の地層が水底で水平にできた後に地殻変動で傾き,それが削られて新たな水底面ができ,さらに,その上に水平な地層ができたということを示していることになります.上下の地層の不規則な境界面を「不整合面」といいます.この図で,不整合面があることは,下の地層ができてから何かの作用(ふつうは陸化して地層ができなかったと考えます)で削られて,そこが再度,水底になって上の地層が水平にたまったと考えるわけです.この変動には地質学的な意味での長い時間がかかることも分かります.
 この地学の大学入試問題集を解くためには,斜めの線と,それを切る横の線を見ただけで,頭の中でこれだけのことを考えることになります.ちなみに,この不整合という現象は,18世紀のイギリスの地質学者であったハトン( J. Hutton, 1726-1797 )が発見したとされています.地質学の歴史の本にはハットンというカナに訳されていることが多いのですが,「ハットン」といってもイギリス人には通じないようです.強いてカタカナにするならば「ハトン」の方が通じやすいのではないかと思います.(そういうならば,ニュートンではなく,ヌートンだろうというのは置いておきます)
 不整合の認定には,不整合面の上下で地層の向きの違いが必要なわけではなく,上下の地層ができる間にある地層ができていない時代が,地質学的な時間感覚で長い間(数値で示されるわけではありません)にわたって存在することが条件です.安定大陸上の地層では,下の地層と上の地層が全く平行なのに,両者が堆積した年代には数億年以上の違いがある,という例があります.このような不整合は「平行不整合」とよばれます.ハトンの発見で,過去の地球には,ある場所の地球の表面が,水底にあったものが陸になり,再度,水底になる,というような大変動があったことの証拠と考えられました.ハトンの見つけた不整合は次の画像のものです.大学入試問題を解くためには.上の図の視覚言語を見て,ハトンの不整合の写真がイメージできるようになっている必要があるわけです.

ハトンの不整合 
http://geo.sgu.ac.jp/geo_essay/2020/190SiccarPoint/190_04S.jpg
手前の地層は垂直方向,奥の上にのっている地層は水平方向を向いている.両者の境界が不整合面

 不整合の説明のように,文章で書くと大量の文字数が必要なものでも,視覚言語はたった1つの図で伝えることができます.反面,不整合を定量的に数値化して表現することが難しいことから分かるように,視覚言語は客観的な数値による定量化が難しい情報でもあります.数値化して定量化できるものであれば,わざわざ視覚言語を用いた質的情報は用いないでしょう.以前,質的情報が多いという地質学の特性を無視して,地質学を数量化せねばならぬ,という主張をしていた日本の岩石学者がいましたが,その試みは残念ながらうまくいかなったようです.
 一方で,ガリレオ,ケプラー,ニュートンの物理学や,ラヴォアジェの化学に代表される近代自然科学は,数値化された定量的なデータに基づいています.古代ギリシャからの伝統だったアリストテレス流の質的データから,数値化した定量的なデータを駆使することで,ギリシャ科学から近代自然科学への脱却に成功したのです.地質学も,自然科学の一員として,露頭や試料中の面方向のデータや,岩石鉱物の化学組成データ,そして数値年代データなど,数値化された定量的なデータを用いる部分は,もちろん持っています.ただ,この問題の定量的な評価は難しいのですが,これまでの本稿の分析で示すように,視覚言語に基づく質的データが地質学において占める割合は,ひいき目にみたとしても他の自然科学分野よりも大きいということが言えそうです.そして,このことが地質学が近現代の自然科学の一員であるかどうかを疑わせる原因の一つと考えられます.
 地質学を自然科学の一分野として位置づけるためには,質的データが多くても,定量的な数値データを用いる科学と同列に扱えるという証明をしなくてはいけません.近代科学の定義から見て,この証明は,たいそう難儀なことになりそうです.単純化したモデルと現実の乖離が小さい分野と違って,同じものでも晴れの日か雨の日かで色が異なってみえるというような複雑な自然そのものを,数値化せずに扱わなくてはいけない,という特性を持つ地質学分野の難しさをご理解頂けると幸いです.

*5 Rudwick M. J. S., (1976), The emergence of a visual language for geological science 1760-1840. Hist. Sci. xiv, 149-195.


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