地質学考 その1 地質学は自然科学だろうか?
「専門は何か」と問われたとき,私の答えの1つは「地質学」です.
ふりかえってみれば,小学生の頃から地元の博物館主催の化石採集に何度か行ったことがあり,地質学に関連したことが嫌いではなかったのは確かですが,専門として学ぶようになったのは大学に入ってからでした.
自然科学というのは,人間をとりまくものが,どのようなしくみで動いているのか,ということを知りたいという素朴な欲求から生まれたものと思われます.自然科学は,現生人類(ホモ・サピエンス)になってから始まりましたから,この欲求は現生人類の本能の一つと考えてもよいかもしれません.私たちは,宇宙や,物質とその運動や,生き物たちの世界,そして私たちをとりまく空気や大地のしくみを知りたいのです.学校で自然科学を勉強するのも,言葉やスポーツのように,人間が持っている本来の能力を,学習によってより高くするための工夫といってもよいかもしれません.
大地がどのようなもので,どのようにしてできたかということについての説明は,古くは神話で語られてきました.学問としては,古代ギリシャの自然学の時代から扱われてきた問題です.つまり,地質学も,他の分野と同様に,西欧での近代科学の成立よりも前まで起源を遡ることができる古い自然科学です.一方で,近代になって急速に発展した物理学は,科学の哲学や歴史の上では,自然科学の典型とされてきました.物理学を典型とすると,地質学は典型とは少し違った特徴を持っているようです.
実際に聞いてみたことはありませんが,物理学や化学を専門としている人たちは,自分の専門分野が自然科学かどうか,ということについて,疑問を持ったことは恐らくないのではないかと思います.しかし,私個人は,専門として学び始めてから現在に至るまで,地質学は本当に自然科学なのだろうか,ということに疑問を持っていました.最近の若い地質学者に聞くと,そういった悩みは持ったことがないという答えが多いので,これは私たち昭和以前の世代限定のことかもしれないのですが,長く地質学をやってきていて,学問の形として本質的なところは変わっていないようにも思います.
そして,このような疑問を持つのは,私だけのことではないようです.私が勝手に師と決めている人物の1人に,世界的な地質学者と認められている都城秋穂先生がいます.都城先生は晩年に「科学革命とは何か」という著作*1 を残しています.この本は,自然科学の中にも構造が異なるものがあるという考え方にもとづいています.自然科学は,物理学だけが典型というわけてはなく,その構造は分野によって多様で,地質学は物理学とは違う論理体系を持った自然科学と考えるわけです.
20世紀の科学史や科学哲学は,物理学を自然科学の典型として,それと違うものは王道からは外れたものという見方をしていたので,都城先生の指摘はその盲点をついたものでした.よく考えてみると,科学者は,別の専門分野の科学者の活動について興味を持たない人が多いと思われます.彼らは自分の立てた問いの答えを導くことがライフワークなので,別の問いを立てて研究している人に構っている暇はないかも知れません,また,科学者としてスタートするときに,一般的に「科学とは,このようなものだ」ということを普通は学びません.ある分野で科学的と思ってやっていることが,別の分野でも通じるかというと,その保証はありません.もしかすると別の分野の「科学的」は,自分の分野の「科学的」とは違っているかもしれません.20世紀末から,科学哲学の分野では,個別科学の哲学という研究が発展してきたのは,そうした事情がありそうです.
都城先生の著作は,科学革命という現象をを通じて自然科学とは何かを問いかけている本ですが,私には,都城先生が地質学を自然科学の体系の中になんとか位置づけようとした思索のように思えます.専門としている人間が,自分の分野を自然科学の中に体系づけられるかどうかを悩むということ自体が,地質学の特徴ということができるかもしれません.
どこまでたどり着けるかは私にも分かりませんが,その悩みについて,現時点でのノートを作ってみたいと思います.
*1 都城秋穂,1996,科学革命とは何か,岩波書店,368頁.
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