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覚えられないことを忘れていた

小学校のとき、たまに「聞き取りテスト」があった。
これは何も見ないで・耳だけで、文章を読む音声を聞いてから
内容についての質問に答える、というもので
私はこれが大の苦手であった。
聞いているときは
意味が分からないということもなく普通に聞いているのだが
聞き終わって質問の答えを書こうにも書けない。
具体的な内容をほぼ覚えていないのだ。
言葉はむなしく私の頭の中を通り過ぎて行ってしまったのである。

「ちゃんと聞きなさい」とか「真面目に聞いていないからだ」とか
ずいぶん言われたが
いや確かにちゃんと満点を取っている同級生がいるわけで
自分がイケナイのだということには違いない。

今思い出してみると
自分は忘れ物が非常に、いや異常に多くて
目の前の・その場でだけ生きていたのだと思う。

そうだ、小学校の時は壁に「忘れ物表」というのが貼ってあった。

一つ忘れ物をしたら、名前の欄に一つ×がつけられるのである。
で、私一人が断トツで×を重ねて
とうとう紙の端まで×が並んだ。
先生からは「何で忘れるんだ!」と叱られ
母からは「お母さんの子どもじゃないみたい」と言われ
忘れ物の係の人からは
アンタ一人のために表の紙を取り替えなくちゃイケナイの?、と言われた。
学校で言われたことは、持ち物だろうと予定だろうと
家に帰るころには、全く・完璧に・きれいさっぱり
頭から抜け降りていた。
「ナンでみんな、ちゃんとできるんだろう」
「忘れ物をしなくなったら・ちゃんとやれたらあと3年で死んでもいい」
とまで思いつめたがそれから何十年も生きてきてしまった。
当然、計画的な行動などできるわけもなく
何となく思ったようにやって…うまくいくわけがない人生。
だがしかし
相当に歳を重ねたある日、突然悟った。
「自分は必ずもの忘れをする」ということに!

すべては、そこから始まった。
それならどうすればいいかを一生懸命に考えたのだ。

「記憶より記録」を座右の銘にして
自分は必ず忘れるから、すぐ書き留める。
メモ用紙はどこかに忘れるから必ず手帳に書く。
というワケで、今や書かないと死んじゃう病になっている。
何でも予定はきっちりと立てて、あいまいでいい範囲もきっちり決めている。(笑)

話を聞く方では
大人になってから意識して物事を整理して考えるようにして
ずいぶん苦労しながらもなんとか人並みに聞けるようになった、と思う。

今思い出すに
子どもの頃は頭の中が全く整理のつかない無法地帯だったのだろう。
頭の中が無法地帯の子どもに無法地帯であることを怒っても
主体が無法地帯だからどうにもならない。
これは単純なこと、それも最も基本的な・基礎的なことを
繰り返し、粘り強く、長い期間を通して
訓練して習慣化するしかない、と思う。
なぜ練習するのかを理解させることがポイントだ。

そして、愛情を忘れずに。


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