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子どもに体験させたい

最近、新型コロナの影響で
子どもたちに今までできていた色々な体験をさせてやれていない
という嘆きをたくさん目にして
そうだよねー、と思いつつも
オリンピックの見学ができないとか
修学旅行ができないとか
色々な場に関われないのは確かなのだけど
逆に言えば
今まで当たり前に体験できていたことを
体験できないという体験をしているともいえないか?
人生で一度しかない高校時代が、などと嘆いているが
人生は、ただ一度の経験の連続だ。
子ども達にできるだけいい体験をさせたい気持ちはワカル。
自分だってそうだったから。
今でもふと
「あれもしてやればよかったこれもしてやればよかった」と思うことはあって。
だがしかし
親が子どもにすべきことはナンだろう?と
よくよく考えてみると・それは
早期教育でもなく
海外留学でもなく
体験教室を渡り歩くことでもなく

子どもが独り立ちするまで元気でいること。
子どもに適切な教育を受けさせること。
そしてできれば、子どもに借金を残さないこと。

これで「ハナマル」だと思うのだ。

人類の知識の土台には「自明」のことがあって
「感覚的にわかる」ということは本当に知識の土台になるもので
世界を支えている知識は普段意識していないものだが
改めて言葉にすると非常に長く大変になる。
例えば「1たす1は2」の証明はナカナカに難物だが
「1たす1は2」というものは
感覚的に「そうだよねー」と「ワカル」ものだ。
ようするに
子ども時代に種々様々な体験をして
この「感覚」を広げて・積み上げていくことが
そののちの「知識」を身に付けるための「土台」になるのだ。
いやいやいやいや・だから
「体験」と言ったって
特別でスペシャルな体験じゃなくて
例えば子どもを連れてアウトドアだよー、というときには
ウルシやイラクサ、マムシ、スズメバチなど
触ってはいけない・近寄ってはいけないモノと
親から離れてはいけないことを教える。

一番に必要なのは、日常生活での
砂場で遊ぶとか・水遊びするとか・転んで痛かったとか・虫を触ったとか
熱かったとか・冷たかったとか・固かったとか・柔らかかったとか
そういうことの果てしない積み重ね。
知識というモノは抽象的なモノだが
それが本当に身に付くためには
子ども時代に日常の体験を積み重ねることが土台として必要なのだ。

ちなみに
「親のバカほど有難いものは無い」というのはホントだと思っている。

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