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ぶどうの季節

歯科医院の待合室で順番を待っていたら

突然、血相を変えたお母さんが子どもをかかえて飛び込んできた。
見れば、4歳くらいの女の子。

さっき気がついて口の中に赤いものがあの肉腫とか何か怖い病気だったら―

診察室から出てきた先生は女の子の前にかがみながら
「ちょっと、口、見せてねー」
と言いつつ待合室の患者に目で「すみませんが」と。
もちろん待っていた人たちはせわしくうなづいた。
(はいはいはいっ!)
(どうぞどうぞどうぞ!)

お母さんは緊張した顔で先生の後ろからのぞきこんでいる。
待合室の人たちも緊張してこわばっている。

すると
「あらあー?」という先生の声。
女の子の口に入れていた指を出して
「お母さん、これ、茶ぶどうの皮だわ!」
「えええ!?」
「ぶどう、食べませんでした?」
「ああああ、はいはいはい!」
先生の人差し指の先には赤茶色のひしゃげた物体が。
待合室の中に「くすっ」という声とため息が。
(はああああ)
(なーんだ)
(よかったよー)
居合わせた人たちは何となく視線を交わしてうなづいて微笑み合った。
お母さんはほっとして恥ずかしくて泣き笑いのような顔になって
一生懸命、先生に謝っている。
先生も指先にその「犯人」をつけたまま
「いやいやいいんですよ大丈夫大丈夫」
お母さんは待合室の人たちにも何度も頭を下げながら
ぽかんとしている女の子を連れて帰っていった。

こうして駆け込める場所があって
譲り合って見守る人たちがいて
なんだか
「よかった」というよりも胸いっぱいな気持ちになった。




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