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クモが・コワかった・理由(ワケ)

高校生くらいまでクモが怖かった。

なにもかもなくとにかく怖かった。
ある朝、学校へ行くのに
机の上の教科書をカバンに入れようとしたら
教科書の上に大きなオニグモが乗っていた。
もう、どうにも触れなくて母を呼んで取ってもらったが
こんなことで!とずいぶん怒られた。
怒られるのはわかっていたし母に怒られるのはとても怖かったが
クモを触ることのほうが怖かった。

しかしさすがに考えた。
ナンで自分はこんなにもクモが怖いのか。
クモが嫌いで怖いという人は他にも大勢いるのだが

とはいえ、ナンで?

考えるうちに
これはクモに対する差別では?
と思えてきた。
クモは自分に何かしたか?
たまにクモの巣にひっかかって嫌な思いをしたが
これだって、クモにしてみれば大迷惑。
居住権の侵害のみならず業務妨害もいいところ、である。
クモから見たら人間はゴジラ並みに巨大な怪物なのだ。

だんだんクモにすまなく思うようになり
仲良くしなくちゃというか
最低、邪魔しない程度にお付き合いしようと決めた。

初めはイヤだったが、だんだん慣れて今では
平気で手で取ってそっと逃がしてやれるようになった。

好き嫌いというのは理屈ではどうしようもないと考えがちだが
要するに「慣れ」の問題なのだ。

そういえば、昔々久々に実家に寄ったとき

玄関で義母が私の顔を見るなり駆け寄ってきて
「あらー!よかったー!来てくれて!」
といつにない大歓迎に面喰っていると
「裏口にねえ、ネズミが死んでるのよー」
そゆことですか…。
義母は虫を始めとしてイキモノが大の苦手なのだ。
ましてやネズミの死骸など見るだけでもダメ。
というわけで、中身の見えないスーパーの手提げ袋に死骸を収容し
さらに別の袋に入れて取っ手を作って
火ばさみでつまみあげられるようにしてやった。
「これでゴミの日に出せるでしょ?」
メチャクチャ感謝された。

また別の昔々のハナシ。
下宿の他の部屋で
女子たちがにぎやかにおしゃべりしていたのだが
突然悲鳴が上がって
「こういうことはあの人が得意じゃない!?」
「ちょっと呼んでくる!」
ばたばたばたと足音がやってきて
「ナンか、トカゲみたいなのがいるんだけど…」
「うむ」
立ち上がってその部屋に行くと
女子たちが部屋の一方に集まってこわごわ壁を見ている。
「あ、ヤモリね」
「別に」という風情のヤモリを捕獲して無事屋外に放した。
お菓子をたくさんもらった。

おかげさまでこのころには
虫とか爬虫類とか危険じゃない大体のイキモノは平気になっていたので
色々と重宝されることが幾度かあった。

普段は「この人何なの」と思われていても
たまには非常食のごとくありがたがられる。
これが「奇貨居くべし」と言うものか。(違

「気持ち悪さ」「存在の許し難さ」というものは
いわば異文化との衝突なのであって
身近なところでは
結婚後の両家の軋轢が好例である。

なににせよ、初めての付き合いにおいては
お互いが「クモ」のようなものなのだと心せよ。


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