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脳内劇場版狐が火を付けた話

物語
小さな怪奇現象

(昨日の続き)

「ん、それではこれは付け火であるというのだな」
「失火ではない、と」
朝の光がぼんやりと部屋の中を明るくし始めている。
焦げた煙の臭いが満ちているのは昨日火事を出した男からまるで煙が立つように臭いが放たれているせいである。
その男、祐光はただ「左様でござります」とだけ言って頭を下げた。
耳の後ろにまだ少し煤が付いている。
祐光の前にいるのは館の、今でいう総務部の課長である安藤盛景である。
「そなた、誰ぞに火を付けられるような事をしたのか?」
祐光の胸がどうん、と膨れた。
こわばった身体でゆっくりと顔を挙げると
盛景は黙って山鳩のような小さな丸い目で祐光を見ている。
小太りで幅の広い上半身にやはり小太りの顔が無表情に乗っている。
「火付けをすればわが身もただではすまぬゆえ、よほどの恨みであろ」
「いえ決してそのようなとんでもないことでかようなそのような」
盛景が小首をかしげながらつぶやく。
「向かいの家の小者が、隣村の誰ぞに似ていたとゆうておるよし」
「その誰ぞに火付けの子細を聞かねばならぬの」
「いやまさかそんなことは助五郎など来るわけが」
言ってしまってから祐光の顔に汗が噴き出る。
「あれは-きつ、き、狐が化けたのです」
顎をかくかく言わせながら祐光は早口で申し立てる。

「昨日、館の帰りに狐を見かけたので犬蟇目(いぬひきめ)をぶち当ててやったので昨日ほれちょうど館で犬追物をしましたゆえちょうど犬蟇目を持っておったゆえ-」

蟇目とは鏑(かぶら)の一種で中空の大きなものである。神事などで魔を払うため音が鳴るように笛口のついたものもあるが、ここで言う「犬蟇目」は犬追物に使うものである。犬追物というのは侍の武芸の競技で犬に紐で的になる物を引きずらせてその的を矢で射て当たりを競うのである。この時、間違えて犬に当たっても刺さらないように普通の矢じりではなく蟇目を使うのである。だから普段持ち歩く物ではない。かさばるし。

「狐めは矢が当たるとぎゃんと鳴いてまろびこけましたがそのままよたよたと腰を引いて草むらに隠れたのでや、矢は狐の腰のあたりに当たりまして」
「落ちた蟇目を拾って家に向かうとまた先ほどの狐がいまして-」
「いかにして先ほどの狐とわかった」盛景が口をはさむ。
「その、その狐が腰を引いてよたよたと歩いていたからで-」
盛景は黙って山鳩のような目で見ている。
祐光は思わず顔を伏せて続ける。
「そこでまた蟇目を当ててやろうとしましたが今度はすぐに草むらに逃げ」
「なんだつまらんと思っているうちに狐が火をくわえて走っているのが-」
「それはどのあたりだったのか」ふたたび盛景が口をはさむ。
「家まで-あと、あと四、五町かというところで」
「その、その二町ほど先を狐が火をくわえて-」
「走っていたのだな」
「左様で-」
「しかし狐は腰を引いてよたよたと歩いていたのではないのか」
山鳩のような目が淡々とたたみかける。
「の、のの、野の物は治りが早うござります」
やっとのことで祐光は答える。
「そこで、火をくわえて走るとはいかなる事ぞと馬を走らせけれども」
祐光は喉をぐびりとさせてから
「狐は家まで走り寄ると」
「人の姿になりまして」
「火を付けたのでござります」
「この祐光人が火を付けているのに相違ないと矢をつがえ馬を走らせども」
「そやつは-火を付け終わったので-そやつは狐になって草の中に走り込んでいなくなってしまいましてござりますっ」
「それで-えーそれで、家は焼けてしまいました」
語り終えた祐光はがっくりとした様子で息を吐いていた。
「狐が意趣返しに付け火をしたか」
「は」
「狐がやったことならー是非もない」
「は、まことに」
ほっとした祐光が顔を挙げると
山鳩の目のついた顔は首をかしげている。
祐光はすうっと身を縮め顔を伏せる。
「お館様がこの度の橋普請、少々難儀のご様子でな-」
祐光、恐る恐る顔を挙げると
次第に強くなる陽を背に盛景が大きく膨れ上がってくるようで
顔は陰になっているのに山鳩のような眼だけがこちらを見ている。
「ははっ、粉骨砕身励みまするっ」
「頼りにしておるぞ」
「下がれ」
文字通りの這う這うの体で祐光は退出し-
盛景はつぶやく
「まあ、火を付けられるようなことをしたということぢゃ」

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