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方言も標準語も

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うちの姑がヨメに来たとき、その家の明治生まれの姑から
「方言は正しい言葉ではない」だの「きたない」だのと言われたそうで
「ばくる」だの「あずましくない」だの言っては
ずいぶん叱られたそうだ。
何しろその姑の姑は当時まだ珍しかった女学校出で・しかも総代だったから
自分の知識には絶対の自信があったのだろう。
そういえば
うちの姑の父親は茨城の出身で
犬棒かるたの「犬も歩けば・・・」がどうしても
「えぬもあるけば」になったそうで
子どもたちがいくら「えぬ、じゃなくて、いぬ」と言っても
本人は「いぬ」と言っているつもりで、とうとう「直らなかった」と。
これは「い」と「え」を聞き分けられなかった、ということでもある。
子どもたちの方は標準語の発音を身に付けていたわけだ。
明治以降、文部省は「はっちゃきこいて」標準語化を推し進めて
ラジオやテレビの普及によってあまねく標準語は根付いたが
それでも地域差はあるしもちろんそれは大事な文化なのだ。
さてそこで
「標準語の村」北条常久著 無明舎出版
という本がある。
これは明治時代、遠藤熊吉という小学校の教員が
秋田の山村で行ったすぐれた標準語教育について書かれたものだ。
遠藤先生の教え子たちは皆正しい標準語を身に付けただけではなく
地元の言葉を大切にしなさい、と教えたことで
教え子たちは標準語と秋田弁の「バイリンガル」になったのだ。
標準語を役立つ道具として身につけさせたワケだ。
今でもそこの村の人たちは普通に標準語を使えるという。
遠藤先生の教育についてひとつ紹介すると

自分(遠藤先生)は低学年などに於いて、話し方や、書きものの訂正をお土産と称して居る。…児童が、皆の前で一々訂正されると色々よくない結果を産むけれ共、お土産は喜んで聞く。…これが為め、お話や綴方に於いて、児童の方から進んで、『先生、お土産は』、『今日はお土産がないんですか』と請求する様になる。よりよき方への進歩は、児童にとっては大きな希望であり、又喜悦でもある

なんと暖かく実のある授業だったのだろう。
この姿勢は言語教育に限らずすべての教育について必須であると思う。


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