見出し画像

母子健康手帳

勉強 子育ての風景

太平洋戦争中の日本では戦争を遂行するための政策として
「産めよ増やせよ」が有名だが
実はこの時日本では世界に誇るべきものが誕生していた。
それは「妊産婦手帳」
後の「母子健康手帳」である。
ハンブルク大学のMutter Pass(母親手帳)を元に
妊産婦手帳が国の施策として普及された。
しかし、ドイツと日本で大きく違ったのが
ドイツでは国として行っていたのではなく
ハンブルク大学病院でのことであり
それもここに通える上流階級のためのものだったが
日本では国策としてすべての妊婦を対象とした、ということだ。

妊産婦手帳を発行することで
妊婦に対する指導、診察、食料の配給が図られたのだ。
富国強兵の目的ではあったが
妊娠初期から分娩後1年間の健康管理がなされたことで
母体と子どもの健康が守られたことは世界に誇れることであり
そのため、戦後もこの制度は消えることなく今に続いている。

さて、なぜ日本ではすべての妊婦を対象にできたのか?

それはこの時代、ほぼすべての人が字を読めたから、が大きい。

手帳があっても字が読めなければ使えない。
江戸時代の寺子屋教育の普及でもともと高かった識字率が
明治時代に始まった義務教育のおかげでさらに高まり
そのおかげでこの国の人たちの健康を守ることにつながったのだ。

それとともに
科学と政策とがうまくつながることで
(結果としてだが)国民を守った事例として
もっと知られていいことだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?