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私はペットを飼わない

子どもの頃、家には犬や猫やカナリアがいた。
しかし、今は何も飼っていないし
これからもペットは持たないと思う。
「犬でもネコでも飼っているときはいいけど、死んだら可哀そうでねえ」
それで飼わなくなったという人は何人もいたが
実はそれどころではなく
飼い始めたら死ぬまで人間が世話をしないと生きていけないのがペットだ。
人間の子どもだったら大人になれば自立するだろうが
ペットは大人になろうが決して自立できない。
自分はもういい歳なので、いや、若くても
もし自分や家族に何かあったら
ペットの世話をやり遂げられるかどうかがわからない。
自分の家族で手一杯、というのが本音だから。

さて、ペットを飼う人がよく言うのだが
ペットのおかげで家族の、特に夫婦の会話ができるとか
ご近所のペット仲間との付き合いができるとか
要するに、人と人との「かすがい」になっているらしい。
落語の「子はかすがい」の「子」が今や「ペット」になった感がある。

これは一体どういうことなのだろか?

抽象的な思考をできるようになった人類は
未来を想像できるようになったのと同時に
不安を抱えることになって
心のバランスを取る・安心するために神を求めたのではないか。

つらつらと考えてみると
イマドキは信心深い人ってあまりいない気が。
これ、神様じゃなくて
ペットとかアイドルとかオタク趣味とかお金とか恋人とか変人とか
そういったものを“信心”しているのではあるまいか。
自分がエネルギーを注げる・安心して寄りかかれる対象が
現実と向き合う緊張の重心をずらして安定させる
ということではなかろうかと。
深刻なことを話し合うのには
二人より三人の方が場ができて緊張感が減るような。
二脚より三脚が安定するような感じで。
ひたすら考えることで現実と向き合うのは“しんどい”し。
いや、ホント、しんどい。


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