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物語 忍者になったよ

物語

病室をのぞくと4人部屋で、廊下側の左のベッドの横に座っている兄貴がいて、そして母さんが寝ていた。近づいて、すっかりしぼんでしまった姿に胸を突かれた。
「母さん、どんな?」
「うん、変わらないわ」
兄貴はそう言ってから少し間を置いてぼそっと
「まだお前にあやまってるわ」と言った。
母さん、そんなこと、大問題じゃないよ、と倒れたときから何度も耳元で言ったけど聞こえてないみたいに(ごめんねえ)とつぶやいている。聞こえてないんだろうな。
もう、仕方ないんだけど。
休みは1日だけだったからあとは兄貴に任せて空港へ向かった。

オレは小さなテーマパークの「忍術村」で忍術の先生をやっている。もちろん、子ども向けの体験イベントのスタッフだ。子どもが喜ぶアスレチック的なコースで引率したり、手裏剣のコーナーで一人3回的に向かって投げさせたり、そうだ、以前は目つぶしの粉を仕込んだ球を投げるコーナーもあったがこちらは粉の付いた手で目をこすってしまった子がいて無しになった。
母さんがオレにあやまってるというのは、もうずっと昔、オレがまだ幼稚園児だった時にここみたいな「忍術村」に家族で行って、兄貴だけ6歳だから「水蜘蛛コーナー」で遊べたことだ。
オレが今働いている「忍術村」にもそんな「水蜘蛛体験コース」があって、泥水の池を板とタイヤチューブの「水蜘蛛」に乗って渡るんだが、池の上に張られたロープにつかまって、手の力で向う岸まで渡ることになる。落ちても大丈夫なくらいの深さしかないが、底が見えたら浅いのが見え見えだからー池が泥水というのはまあそういうことだ。それでもある程度の腕力とバランス能力がいるから年齢制限があるわけだ。よく覚えていないが、あの時の「水蜘蛛」もここと同じようなものだったろうと思う。
兄貴が何とかロープにつかまって向う岸まで渡るのを見たオレは自分もやりたくてせがんだがやらせてもらえなかった。母さんは「きっと、また来るから」と言ったが「もう、こないかもしれないじゃないか」と泣いた覚えがある。
そしてやっぱり、とうとうもう一度あの「忍者村」に行くことは無かった。
とは言っても、小学校へ行ったら他にたくさん色々な面白い事があったから、いつの間にか本人はすっかり忘れてしまっていた。だけど母さんの心にはずうっと「悔い」が残っていたのだと思う。
そんなこと、もう、いいのに。

春休みに入って、「忍術村」は家族連れでにぎわっていた。
そして、「水蜘蛛体験コース」のシフトに入った日のことだ。順番を待っている中に兄弟らしい男の子二人がいたが、弟君の方が4歳だったのと背が足りないので断らなくちゃいけなかったのだ。弟君はお母さんから「ほら、6歳からって書いてあるでしょ?」と言われて半べそで歯をくいしばってお母さんとオレを交互に見ている。
ロープにつかまる必要上、身長制限もあってその弟君は5㎝足りなかったのだ。どう考えても断らなくちゃいけなかったのだが、オレはこの前の母さんの姿が頭から離れなくて。
ざっと他の順番待ちの顔ぶれを見てどうやら他の子たちは大きいな、と見て取ったオレは思い切って「うん、いいよ、今日だけキミは6歳ね。身長も120㎝ね。」とささやいて、ご両親にも「特別いいことにします」と伝えて、できることにした。
「いいかい、今日は特別に修行させてあげるからね。でも、お兄さんの言うことをちゃんと聞くんだよ。お兄さんは修行をしたから歩けるけど、ここは底なし沼だからね。水蜘蛛から落ちたら最後だぞ。お兄さんが手伝ってあげるけど、ちゃんとロープにつかまって、向こうまで頑張れるかい?」
その弟君は歯をくいしばったままの顔で「うん!がんばる!」と言った。
オレはその子の足を規定通り水蜘蛛に留めて、頭の上のロープをぐっと引き下ろして両手につかませた。
「大丈夫か?」「うん!」
オレはその子の腰を両手で支えて泥水の中に入った。まだまだ冷たい水が時間差で靴の中、ふくらはぎ、膝、腿に向かって浸み込んだ。実際の水深は40㎝もなかったがここは「底なし沼」なのでオレが普通に立って歩くわけにはいかないので両足を曲げて沼の底に膝をついて立ったのだ。ぬるりとした感触が膝下にあった。小さな子どもには十分怖い深さに見えるだろう。そうやって自分の股の上まで泥水に漬かるとその子の両親が小さく声を上げた。
「いいか、落ちたらおしまいだぞ。向う岸までがんばるぞ!」
「うん!」
そろりそろりとオレたちは泥水の中を進んだ。
「はい、手をかわりばんこに」
「つかんで、そうだ」
「いいぞ」
「ゆっくり!」
「うまいぞ」
自分が転ぶわけにはいかない。泥水の底はぬるぬるとした粘土、いや、きっとヘドロだろうという中の膝歩きで思ったより苦労したが、なんとか向こう岸までたどり着いた。
わずか4mの長いこと!
その子の足を水蜘蛛から外して岸へ「ほい」と渡らせて泥水から自分の身体を持ち上げた。
あくまでも「底なし沼」だから、岸に両手をついて「よいしょ」と。
忍者衣装の下半身からボタボタと泥と泥水を落としているオレを岸で待っていた両親は感謝というよりむしろ困ったような顔をして見ていた。

あ、オレ、もしかして、お節介しちゃったんだろか?

その子の両親はそういう困ったような顔でオレにお礼と言うかお詫びをしていた。いや、オレはそういうつもりじゃ。

ふと見るとコースの向こうから主任がこっちを見ていた。
これはマズイと直感した。「また、終わったな…」

規定を守らず「危険行為」をしたことでオレは解雇された。
まあ、そりゃそうだろ。
非正規雇用だしな。

だけど
今回のは今までと違っていたように思える。いや、オレの感じ方が。
あの子の両親は困ったような顔をしていたが
当の弟君は、断然、いい顔をしていた。

オレはなんだか自分とお母さんに「借り」を返したような気がしたが
下半身はしばらく痒かった。

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