『いざ修羅へ』(三苗・鯀・羽明蘭明過去5編)


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第一章「羽明と蘭明」




羽明と蘭明は西国に住んでいる鼻の高い大柄な兄弟で、官僚の息子である。

弟の蘭明は頭がいい。まだ齢10歳ながらにして明るく優しく力持ちで、人を引き寄せる魅力に溢れていた。周りの人も蘭明を天才だと呼び、一身に期待と愛情を注いでいた。
兄の羽明も人柄のよい青年であったが、蘭明に比べると引っ込み思案で不器用な性分であった。
みんな羽明のことも愛していたが、蘭明ほどではなかった。

ちょうどひと月前に戦争が終わった。

西国が東国に勝ったことで、戦勝国の官僚の息子である彼らはますます丁重に扱われるようになったのだった。



大きなお屋敷の廊下を歩く兄の羽明に向かって、蘭明のまだ幼い声が響く。

「兄さん!今朝西の区画に捕虜が連れてこられたって。」

羽明は振り返って、少し不安げな顔をした弟を見て答えた。

「ああ、今朝チラッと見てきたよ。お前と同じくらいの少年だった。」

羽明が少し言い淀みながらそう答えたのは、蘭明の問いに隠された「捕虜はどんな子だった?」という裏の意図を無意識に汲んだからであろう。

蘭明はショックを受けたようにしばらく眉をひそめて言葉を発さないまま立ちすくんだ。優しく誰に対しても平等で困った人を放っておけない蘭明にとって、自分と同じくらいの少年が親を殺されて見知らぬ土地に送られたということは耳を塞ぎたいような事実だったのだろう。

「兄さん、俺は立場関係なく人を助けたい。そういう医者になるよ絶対。」

蘭明は恥ずかしげもなく拳を握って、兄である羽明の顔をじっと見てそう言った。自分からはとても出てこないであろうそんな言葉をまっすぐに人に言える弟の眩しさに耐えられないと言わんばかりに羽明は言った。

「そのために勉強頑張ってくれよな」

羽明まだ14才ながらにして、第二の父親のような顔をしようと踏ん張っていた。

「ああ!このあと三苗先生に教えてもらう約束をしてる。兄さんもよかったら来てくれよ」

三苗先生とは、”奇跡のお医者様”と呼ばれている謎の旅人である。何やら危篤の人でも三苗先生のてにかかれば生まれ変わったように息を吹き返すらしいのだ。
治療方法は不明だがどうもその医学の知識は本物らしいので、官僚である父が蘭明を教育してもらうよう頼んだのであった。

羽明は困ったように笑った。

「ああいや、俺はいいよ。このあと父さんの仕事を手伝うから。」








赤い夕暮れも過ぎ去ってしんとした夜が訪れたころ、羽明は三苗と蘭明がいる離れに向かった。


「三苗先生!今日もありがとうございました!」

そう言って蘭明が扉をガラッと開けて出てきた。すれ違いざまに兄の肩をポンと叩いたあと、忘れないうちに復習するんだと言って自室に走っていった。


「三苗先生、今日も勉強教えてやってくれてありがとうございます。」

羽明は離れの扉から顔を出して、まるで父親かのようにお礼を言った。

「本を読んでお話してただけさ。蘭明くんは覚えがいいから、話してるだけでどんどん理解してくれて気分がいいよ」

三苗のいる部屋は薄暗く、しかし温かい光に照らされていた。


「羽明くんも次はおいでよ」

「ああいや、俺はいいんです。俺は弟みたいに頭がよくないし、医者にはなれないから。」

「どうして?君はまだ14才だろう」

「俺は父さんの仕事を手伝わなきゃ。蘭明が何も気にせず勉強できるように頑張らなきゃなんです。俺は・・・・・・何も持ってないから」


羽明はそう言って眉尻を下げながら笑った。三苗はしばらく黙り込むと、机を挟んで向かいの座布団に座るよう促した。


「羽明くん。三苗先生が一つ教えてあげよう」


羽明は初めて三苗の離れに上がり、柔らかい座布団に座った。白檀の香りがふわりと香る。
間近で見る三苗先生は人間かと思えないくらい神聖な雰囲気があった。「先生」とは言うが、年は自分とほぼ変わらないように見える。しかし仕草は年老いた百合の花が重く風に揺れるようにゆったりしていて、不思議なくらい美しく見えた。

これが奇跡のお医者様かと、羽明は息を呑んだ。

三苗は羽明の顔をじっと見つめて言った。

「君はもっと年相応に振る舞っていいんだよ。蘭明くんにとって僕が先生なら、きみにとって僕は友人さ。」

その声は重く、温かく、しかし軽やかで、心の隙間を指でそっとこじ開けるように入り込んで来た。
三苗は自分の後ろにある箪笥を何やらガサガサ探し、振り返って羽明に微笑んだ。


「さあ、すごろくをしよう。手加減はなしだよ」



羽明の目に少年のあたたかい光がともった。









第二章「三苗、いざ牢獄へ」



「三苗、そんな服だから歩きにくいんじゃ。ここから1週間は歩くと言ったろう。」

伯益(はくえき)が少し先で立ち止まって振り向いた。

数日前、三苗が投獄されることが神族の会合で決定された。伯益も神族の一人であり、牢獄である廃村まで三苗を案内する係を買って出たのであった。

「たしかに歩きにくいな。伯益さん、もう少しゆっくり行こうじゃないか。」

伯益の後ろで長い着物を引きずりながら歩く三苗は、いつもの柔らかい微笑みを浮かべ、懐っこい声で言った。

伯益は小さな老人だ。大柄ではない三苗と並んでもその身長は肩にも満たない。
黄金色のとうもろこしの毛のような髪が肩までささやかになびいていて、頭巾を被っているのは禿げた頭のてっぺんを隠すためだろう。
赤い艶やかな頬はまるで赤ん坊のようにふっくらと照り輝いているのに足は枯れ木のようで、段差を登るときに「ヒョイ、ヒョイ」と口から変な掛け声が漏れる。

その珍妙な声を聞くたびに三苗は可笑しな気持ちになるのであった。

伯益は気のよい神族で、三苗は彼と一緒にいるのが好きだった。だから自分が投獄されるための旅路もまるで行楽気分だった。


「そこで少し座ろう。三苗、着物をどうにかしなされ。」
「ふふ、伯益さんも少し疲れたんじゃないの。」
「わしが疲れるわけあるかね。いつも山を飛び歩いとるんじゃぞ。ほれ、この足で。」

伯益は顔を真っ赤にして微笑みながら、ヒョイヒョイ、とガニ股で飛び歩くふりをした。三苗はそれを見て草むらに腰掛けながらにっこりと笑って息を吐いた。
夕暮れが白い三苗の髪を赤く照らしていた。


「三苗よ。お前が投獄されるなんて、わしは悲しいんじゃ。」

伯益の声に三苗は目を丸くした。

「どうしたんだ、伯益さん。誰かに聞かれてるかもしれないよ」
「たしかにお前は神族の禁忌を破って人間と関わっていた。が、お前は気の優しいやつじゃ。浮玉や丹丹と一緒じゃないだろう。」

それに.....と付け加えて伯益はあたりをキョロキョロ見渡し、三苗に「わしだって人間からのお供えもんをもらったことがあるでな」と耳打ちした。

三苗は思わず笑って答える。


「伯益さん。あんたは人が良すぎるなあ。私は優しくなんてないさ」

冷たい風があたりを包んだ。
伯益はひょうたんから水を汲みつつ、黙って聞いていた。

「眠ったものは眠ったままにしておかなきゃって、そのくらいのことはわかっていたさ。」

三苗はまっすぐ続く土の道を向こうを見つめながら、ぽつぽつと続ける。

「私は欲しがりすぎた。そしてたくさん壊した。報いを受ける時が来たのさ」

伯益は眉毛を八の字にして黙り込んでしまった。

「浮玉さんや丹丹坊だって、話せばわかるさ。私は人当たりだけはいいからね」
「話して分かる相手だと思うか。まあそうか、まあ、まあ、そうか。お前さんならな。」

伯益は小さく何度も顎を突き出すように頷きながらそう返した。






1週間の旅路が終わり、三苗が投獄される廃村が見えてきた。

数年前に戦争に負けた東国の小さな村である。人間が暮らしていた形跡が生暖かく残っていた。

「もう浮玉と丹丹は中にいるから気をつけるんじゃぞ。お前さんが入ったら、神族と人間を隔てる結界が降りる。三苗、本当に・・・・・・」
「ああ、伯益さん。ありがとう。ここでもう大丈夫さ」
「いつでも、必要なものがあれば持ってくるでな。たまに話しに来るでな。な。」

三苗はにっこりと笑って、人が良すぎるその小さな老人と握手をした。
あたりに結界が降り、三苗は伯益がヒョイヒョイと言いながら大股で山に向かって帰っていくのを見送った。

「さて、まずは浮玉さんに挨拶かなあ・・・・・・」

三苗はくるりとこれから暮らす廃村を振り返り、憂鬱そうに呟いたのだった。








第三章『鯀』





口の中に、土。

土。

身動きが取れない。目が開かない。

朦朧とする頭を働かせる間も無く、鯀は自分が土に埋まっていることを理解した。


必死にもがいて、手が久々に地上の空気に触れた。


なぜ?


鯀は目を瞑った。頭が割れるように痛い。痛い。痛い。体は?どこも折れていない。なぜ?
黒い髪をぐしゃぐしゃと掻きむしって、真っ黒な目が青空を捉える。

青空に白い鳥が飛んでいるのを見て、鯀はハッと一つ大切なことを思い出した。

「三苗、くん・・・・・・」

今がいつなのか、ここがどこなのかもわからないが、覚えていることはただ一つ。大好きだった三苗の失望した顔。
あのあと三苗は何事もなかったかのように鯀に接したが、鯀の中では確実に何かが壊れていた。憔悴する毎日の中でうっかり高台から足を滑らせ、そのまま鯀は死んでしまった。

「三苗くん」

鯀は次第にはっきりする意識の中であの白い髪の青年の姿を思い返した。目を瞑ったまま彼の名前をつぶやくと、記憶の中の三苗はにっこりと微笑み、手を差し伸べてくれた。手を取ろうとしたその時、三苗はひらりとどこかへ歩いて行ってしまう。その先には、自分を捕虜にした西国に住んでいた幸せそうな兄弟。三苗はその兄弟と草むらへ歩いていく。見たことのない顔をしている。
まるで友達じゃないか。

なぜ。

なぜ僕の身内を殺した国の兄弟と?


これは妄想ではなく、確かな記憶である。

自分が"一度死んで蘇った"のだと察する間も無く、鯀の中にはあの兄弟への憎しみと三苗への愛情がふつふつと湧き上がっていた。

「あ。会いに行かなきゃ、今度はお願いちゃんと聞いてあげなきゃ・・・・・・」


鯀は駆け出した。

ものすごく体が熱い。青い空が焼けるように眩しい。

飛ぶように地面を蹴って笑った。





第四章『再会の日』




第五章『兄と弟』



最初に殺されたのは弟だった。


蘭明は勇敢にも家族や侍女を守ろうとして飛び出したのだった。

俺は逃げることしかできなかった。捕虜の少年の前に飛び出した弟の頭に斧が振り下ろされたのを横目に、体が勝手に反対方向へと走り出していた。

熟した柿の身が割れて飛び散ったような音が聞こえたあと、その化け物は斧を持ってこちらへやってきた。
化け物は、いつか見た捕虜の少年だった。

その瞬間に肩に強い衝撃を覚え、それから先はプツンと記憶が途切れている。

死んだ。

はずだった。

が、この状況は何だ?生きてたのか?いやそんなはずはない。なぜなら、頭を割られて殺された弟が目の前にいるからだ。
ここがどこかもわからない。見知らぬ森の奥だ。何が起きたのか、信じがたいが、”これ”に書いてあることが真実ということか?
俺は手の中に握らされていた手紙にもう一度目をやった。


「友人 羽明君へ

これを読んでいるということは蘇ったのだね。

実を言うと君は一度死んだのだが、僕の力で蘇らせたんだ。

化け物が羽明君と蘭明君の死体を持って僕に会いにきた。

なんとか隠れて蘇りをやってみた。羽明君はおそらく大丈夫だろう。だが、蘭明君は……頭の怪我が酷かった。

目が覚めないか記憶が戻らないか、あるいはもっとひどいことになるかもしれない。

信じられないと思うが、ここに書いてあることが真実だ。

そして今僕はその化け物とともに東国の廃村に幽閉されている。

もしこれを読んだら、助けに来てくれないか。 


三苗」




何回読んでもこれが事実だとは思えない。
しかし、目の前にいるのは紛れもなく生きた弟なのだ。
蘭明は目をまあるく見開いて空を見上げていた。

「鳥!見たことない鳥だ。」

大声で騒ぎながらまるで少年のような笑顔を浮かべていた。掠れた声で弟の名前を呼ぶとこちらを振り返って不思議そうに俺の顔を眺めた。その沈黙は1時間くらいにも感じられた。

「どなたですか?」

ハッと息を呑む。弟の目からはあの時の聡明さが消えていた。まるで白痴だった。
全身から血の気が引いた。
どうして俺だけが正気なんだ。どうして、どうして......。
俺は弟の両肩を掴んで言った。

「どなたですかって、お前何言ってるんだよ.......。俺はお前の兄ちゃんだろ、お前は俺の弟だろ!」

しばらくまあるい目をパチクリさせた後、蘭明はにっこり微笑んで答えた。


「そっか!君は俺の兄ちゃんで、俺が弟ね。

わかった!」


木々に「わかった」という声がこだましていた。

頭が痛い。目の前が真っ白になった。どうして。どうしてこんなことになった。いっそ眠っていた方がよかった。ずっと。ずっと苦しかった。捕虜の少年の斧が肩に触れた時、正直安心した。もう終わりなんだって。それなのに。三苗さんはひどい。それでも、弟がまた目の前で笑っているのは、体の力が抜けるくらい嬉しい。ああ、何の罪もない善良な弟よ。君はずっと善良だった。周りから愛されるにふさわしい人間だった。俺はずっとそんなお前のただの兄だった。ああ、弟よ。君のためにこれからもただの兄でいよう。これまでもそうしてきたじゃないか。せめて、何もないならと。それならと。頼れる兄を演じてきた。ずっと。本当はこんなに情けないのに。お前を置いて逃げたのに。今にも崩れ落ちそうなのに。でも今わかったことがある。これからは本当に"頼れる兄"になったのだ。もう大丈夫、大丈夫だ。蘭明、君は何も思い出さなくていい。何も知らないままでいい。その綺麗な心のままで、美しいものだけ見て、優しさに囲まれて、そして俺のことを「兄ちゃん」とだけ思っていればいい。

「行くぞ。」
「どこへ?兄ちゃん。」
「助けに行くんだよ。」

俺は弟の肩を軽く叩き、廃村へと歩き出した。弟の少し先を歩きながら、殺されたであろう父や村の人のことを思って泣いた。


蘭明は空を見上げながら鼻歌を歌っていた。



REISAI
著者:宛然サカナ

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