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視神経休み

日の出の時間が早くなり、早朝ウォーキングが楽しい季節になりました。この時期は良いですよね。アラームをかけなくてもカーテンの隙間から光が差し込んでくるため、自然と目が覚めます。目覚まし時計と気合で起きねばならない冬とは大きな違いです。

その「朝のお散歩」。なるべく異なる光景を目にすることで、日々、新鮮な気持ちになりたいとの思いから、いろいろなルートを巡っています。ちなみに「どーしても出かけるのが億劫」と思える日もありますが、そのような日は「外に出る理由」を無理やりこじつけます(笑)。たとえばご無沙汰している友人に絵葉書を書いて、それをポストに投函する、という具合。絵葉書ですのでたくさんは書かず、近況報告をぽつぽつぐらい。でも、切手を貼り、はがきを手にすると外に出たくなるので不思議です。

ところで先日のこと。歩きながら目に入る活字に注目しました。お店の看板よりも気になったのが「各種注意喚起の文言」です。たとえば「駐車禁止」「止まれ」「ゴミは決められた日に捨てましょう」などなど。本当にたくさんのことばが並んでいるなあと感じます。

確かにルールを守ってもらうためにこうした掲示は必要でしょう。でも多すぎると風景の一部と化してしまい、わざわざ一字一句読む人はいなくなります。そうなると、単に「視覚的ノイズばかりが多い街頭」になってしまうのですよね。

この間、病院の待合室で待っていた時も同様のことを感じました。壁にはマスク着用のお願いから、診察内容によって順番が前後する旨の掲示、禁止事項など実に多くのポスターがありました。天井から吊り下げられたテレビにはにぎやかな番組が流れています。もうこうなると自分の目が吸収しているのは次から次へと入ってくるおびただしい情報です。我が目よ、お疲れさまです、ホントに。

それでふと思ったのですよね。こうした注意喚起文章をいっそのこと撤去してみては?取り外したことで風紀が乱れたというのであれば、文言は必要だったということでしょう。でもさほど変わらなかったら?その場合、ポスターなど掲げなくとも人はちゃんと行動している、ということになります。

ならば視神経休みのためにも、少し数が減ってくれたらなあと思います。

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