言語生業者の憂鬱
いえ、別に佐藤春夫の「田園の憂鬱」をもじったわけではなく、コトバを生業とする人間のつぶやき、ということで。
ラジオが好きでよく聞いているのだが、注目するのは内容以上にキャスターの話し方。「おお、こういう間(ま)をとるのか!」「高低のつけ方が絶妙!」「ニュースを読む速度はこれぐらいか。よし、CNNの放送通訳で応用だ!」という具合。
と同時に、ついツッコミを入れてしまうこともある(ゴメンナサイ)。たとえば「あ、今、かんだよね?」とカミカミを内心指摘してしまったり(自分のCNN放送通訳を棚に上げてるし)、「あれ?『約10%』って言ったよね?放送業界は聞き間違い防止に『およそ』を使うって聞いたけど?」という疑問を抱くことも。先日など「孫悟空」の発音が「ソンゴクー」とフラットではなく、「ソン・ゴクウ」という、何だか「孫正義さん」的なアクセントで思わずウォーキング中に立ち止まってしまった。
某コンクールの告知放送では、「エントリーを受付中です」「一次審査をパスした方は本審査に進みます」とあったのだが、この文言も改めて考えさせられた。昔なら「応募を受付中です」だったのが、いつの間にか就職活動含め「エントリー」になったのだろう?私などいまだに就活の「エントリーシート」と聞くと、プレゼント懸賞の抽選応募用紙を空想してしまう。
「一次審査をパスした方」は助詞の「を」が厄介。「パスする」は「合格する」という意味のほかに、「見送る」という語義もある。トランプで「パス3回」と言うときのあの「パス」。よってここでは「一次審査『に』パスした方」の方が分かりやすい。ああ、日本語専門家でもない単なる「俄か学者気取り」でこんなことを書くのも気が引けるが。
一方、私の場合、空耳も数知れず。「着物の買い取り」が「干物の買い取り」、「この中での」が「コロナ禍での」と一瞬解釈。「ナビゲーターの○○です」との番組冒頭あいさつが、「アリゲーターの○○です」と聞こえて、脳内はすっかり「クロコダイル・ダンディー」になってしまった。
でも、お金もかからずここまで楽しく時間を費やせるのだ。ゆえにこの仕事を長年続けることができているのだろう。タイトルに「憂鬱」とは書いたけれど、「陶酔」の方がピッタリだ。