【セルフライナーノーツ】春の嵐

人間の感情って喜怒哀楽で表せるというけど、でもその中間というか混ざってよくわからない時って意外と多い気がするんです。

例えば「寂しい」って感情をとってみてもそこには悲しみだけでなくて怒りもあるだろうし、怒りや悲しみでさえ説明が出来ないものが混ざってる気がします。

「春の嵐」という曲はそういう意味で「よくわからない」気持ちの曲です。



確かに二人で過ごした幸せな時間があった。
けれど今はもうその相手はいない。
でも最後には相手がいなくて寂しいはずなのに希望を匂わせるような雰囲気さえある。

なんのこっちゃ?です。

人間関係というのは難しいですねw


これは音楽の利便性とでも言えるところですが、言ってること(歌詞)と逆のメッセージをメロディや和音に込められます。

最後の最後で

窓の向こうは春なのにもう君はこの街にいない

という最後のセクションですが、明るくCのメジャーコードで締めてます。

最後の和音というのはいつも常に悩みます。

シンプルにダサくしたくないからです。

キーがCの曲を安易にCで終わるのは危険です。

ベタなので。

でもここはとてもこのコードがしっくり来ました。

春は別れの季節でもあるけれど、出会いや始まりの季節でもあるだろうから。

そんな出会いや始まりの希望を匂わせるのにCのコードはピッタリでした。

そんなに明るい題材を歌ってなくても和音次第で明るい雰囲気をつけられる。

音楽のそういう部分って少し理屈は違うかも知れないけど「行間を読んでもらう」ということに近いかもしれません。


Bメロにあたるセクションが進行の中でフックとなる部分かもしれないですが、ここは内容で言えば白昼夢みたいなものです。

桜の花びらが風に舞う中で一人で色んな昔のことを思い出している。

寂しいけど、なんかとてもそれさえも幸せな時間じゃありませんか?

思える人に出会えたというのは一時のものだったとしても幸せなことだと俺は思います。


この曲の制作時はお花見なんかがコロナ禍で禁止されていて、そういう行事に対しての渇望がありました。

せめて音楽の中では綺麗な桜を見てもらえたらとキラキラした美しいアレンジにしたいと思いながら制作してました。

綺麗な桜を見るような、美しいものにふれる感覚を聴いてくれる人に少しでも届けられたらそんな幸せなことはありません。



余談ですが、俺が何年か暮らした東京の中野という街があります。

中野駅の北口から沼袋方面に抜ける中野通りは春には圧巻の桜並木を見せてくれます。

遠くから行ってでも見る価値があるくらい。

今では中野から引っ越してしまったけど、それでも毎年見に行きます。

春はまた一つ新しい自分を始めたいからです。

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