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大多喜無敵探検隊とは何ぞや?【解説】

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【大多喜無敵探検隊】の主な年代や登場人物、時系列などの解説、物語のステージとなる地域、そして「大多喜無敵探検隊」の誕生秘話(?)や、そもそもこのヘンテコリンな物語を綴る動機などを…
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#昭和

大多喜無敵探検隊 佐奈田隊長 回顧録-since197X はじめに

 このnote『大多喜無敵探検隊』は、私自身が房総南部の大多喜町に住んでいた昭和中期~後期、ファミコンが世に出る直前ぐらいまでの時代が舞台の『自称』児童文学です(どこがだ!)。 そのころの遊びや世相、大自然、そして地域に伝わる昔ばなしや当時の時代のお化け話などを中心に、さらにあの頃の私がよく空想していた宇宙や地底世界、時間旅行、そして謎の人物なども交えて、それなりに短編的に紹介できたらと考えています。また、大体のお話は、主に私自身が小学校4~5年生の頃の時代を中心に考えており

【雑記】大多喜町 周辺の地域呼称について考察 南房総・南総・外房・房州…

 我らが『大多喜無敵探検隊』が昭和50年代に駐屯(?)していた千葉県の『大多喜町』。この町を取り巻く房総半島一帯の意外と難解な地域呼称について少し解説します。とはいえ千葉県に全く縁のない方には無用な情報であります。。 古くからこの千葉県、特に房総半島には様々な地域呼称があり、その境界もかなり曖昧なものでしたが、前に気になり色々な本を読み、そして実際にその地に住む人たちが自分の地域をどう呼んでいるかを元に、分かりやすく市町村単位をベースにして幾つかの地図に落とし込んでみました。

【雑記】今はなき大多喜小学校の百年山(ももとせやま)と空中戦艦ヤマデス

 私が昭和の頃に通っていた大多喜小学校は、当時の校長はじめ教育現場の意志もあってか、小学校敷地内には、毎年の卒業生たちが力をあわせて作った大きな卒業記念のストラクチャ(構造体)がそこかしこにありました。信号機を供えた交通公園を筆頭に、川が流れる大きな箱庭のような小山や、千葉県の形をした大きな池など‥。 そんな中でも一際ビッグスケールで、その誕生以来、私たち在校生の格好の遊び場になった『百年山』が、もっとも印象深いものでした。 このモモトセ山の製作は、昭和50年(1975年)

【雑記】亡き弟と従弟の想い出、町の過疎への憂いが、昭和の大多喜町を記す動機かと思います

 私は日常からの現実逃避のためか、ここnoteで時々『大多喜無敵探検隊-197X』という、全く誰の得にもならないような自称・児童文学を書いて、ひとり悦に浸っておりますが、‥まぁなんでこんなモノを暇みてチマチマ書き記しているかというと、動機のひとつとしては、うちの子供の存在でしょうかね。結婚が遅かった私に子供が出来たこと、そして、その令和育ちの小学生のうちの子を眺めていると、昭和の自分の子供の頃とは何から何まで随分と違うよなぁとしみじみ感じまして、、 逆に考えると、今の時代から