オッペンハイマー

映画『オッペンハイマー』を見に行った。
原爆の父と言われる、原子爆弾を発明した科学者オッペンハイマーさんの生涯を描いた作品だ。

多分日本人の中で一番遅く見に行ったのではないか。
公開日を調べたら、3月29日だった。
毎回映画を見に行く時はこうなる。
見に行こう見に行こうと思っていた映画が、気がついたら上映館が激減しており、やばい!もう見れなくなる!と切羽詰まって見に行くというのがいつものパターンだ。
アナと雪の女王も公開されて1年後ぐらいに見に行った記憶がある。
これも多分日本人の中で一番遅く見た。
なかなか流行っている時に見に行けない。
見に行った人の感想をへえーそうなんだ、で聞き、自分が見に行き感想を述べる時には、他人からすると今かよ!おっせーよ!ってなっている。
子どもの頃、夏休みの宿題を8月30日ぐらいになってから、やべ!やってねえ!ってなって、やる人間だったんだけど、そういう体質関係しているんだろうか。
オッペンハイマーも芸人で見に行った人の感想を聞き、見に行きたいな〜と思っていた。

そうして重い腰をあげて、ようやく見に行った。
上映スケジュールを調べると、近隣の映画館ではもう上映しておらず、行けそうな時間にやっているところは、日比谷しかなかった。
しかし、終映間際にも関わらず座席は満席だった。

バイト終わり急ぎ向かったのだが、思いの外早く到着してしまい、時間を持て余してしまった。
チケットは事前にネットで予約していたので、発券する手間はない。
喫茶店でコーヒーを頼み、本を読みながら時間を潰すことにした。
この選択がよくなかった。
オッペンハイマーは上映時間が3時間以上ある映画だ。
上映前にコーヒー飲んだらトイレ行きたくなるに決まってる。
案の定、映画後半からトイレに行きたくなった。
先ほど話した芸人の見に行った人が感想で、「原爆のシーンでうんちを漏らした」と聞いていたので、その芸人がうんちを漏らした原爆のシーンまではなんとか耐えようと心に決めて見ていた。
トイレを我慢する時に「うんちを漏らした」を連想するのは今考えるとあまりよくない気もするが、しょうがない。
なんとか原爆のシーンを見て、よし料金分は元を取ったと自分に言い聞かせた。
結果、最後まで鑑賞した。
自分の尿意なんかを遥かに凌ぐ映画の内容にひきつけられた。
途中で席を立つなんてできなかった。
そんな力のある映画だった。
うんちを漏らしながらも最後まで見続けたのも納得できると思う内容だった。
オッペンハイマーは長い映画だったので途中席を立つ人もいるかなと思ったが、一人も席を立つ人はいなかった。
他の人も私と同じく、席を立てなかったのだろう。
みんな固唾を飲んでずっと食い入るように見ていた気がする。
長時間の映画なのにこれだけの人をひきつけるのはすごい力を持った作品だと思う。
内容的にはけして「うれしい!たのしい!だいすき!」みたいなハッピーな内容ではないんだけど、見ずにはいられないというか、その場にいなくちゃいけないと思わせられるというか、とにかく席を立てなかった。
文字通り“釘付けになる”、って感じだった。

原爆はけしてよくない。
確かにそれで戦争が終わった、というのはあるのかもしれない。
だけど罪のない人たちが大量に死んだ。
そんなことあってはならない。
それを前提として。
原爆を作ったオッペンハイマーさんに感情移入するという体験は大切だ。
肯定はできないけれど、なるほどそういう局面もあったのかもね、っていう体験。
オッペンハイマーさんは良心の呵責に苦しめられた。
だからといって、原爆は許されないことだけれど。
映画中はずっと息が詰まる思いだった。
映画を見終わった後しばらく呆然とした。
色んな感想が出てくるはずなのに、私は頭の中から言葉を失った。
なんだかそのぐらいの衝撃を受けた。
お笑いをやっている人間は、こういう体験をしておくことは重要である。
一見、お笑いと反対にあることのように感じるが、世の中の理不尽さ、悲しさ、苦しさ、矛盾、凄絶さ、残酷さ、こういったものは、お笑いとかなり近接している。
人間のこういった部分を深く理解していなければお笑い芸人は絶対にできない。
オッペンハイマーはなんだかすごい体験をさせられた映画だった。



うんちがどうとかおしっこがどうとか、オッペンハイマー見た人の中で一番汚い感想だろうな。

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